2019年11月18日月曜日

家族のかたち

現実と離れるためメキシコへ。

もうね、あれです。
時代は中南米かと確信しての帰国です。
というのはご冗談に聞こえるかもしれないですが、
久しぶりこの国住める国だなと。
なんとも言えぬ癖のある感じがとても居心地が良く、
二言めにはメキシコに帰りたいと
言ってしまう毎日を過ごしております。






毎日タコス食べてました。
気づいたことは、今まで食べてたタコスは
タコスじゃなかったということ。
現地の屋台でだいたい30ペソ(180円くらい)で、
メインの食材以外は自分でトッピングするスタイル。
皮はもちろんトウモロコシで香りもいい〜
ハラペーニョのみじん切りがいい仕事するのよ〜。
少しでもタコスが気になった人はNETFLIX限定の
「タコスのすべて」をおすすめ。
タコスを小さな宇宙と題し(やばくない?)、30分6シリーズものの
クレイジーなドラマになってるから暇つぶしに最高よ。


「タコスは文化で血肉だよ」





メインは、11月1日〜2日に開催される「死者の日」の祭りへ。
死者の日?となる方へ。
日本でいうお盆みたいな感じ。
死者を弔う際、アステカ時代に人は死ぬと太陽に捧げる
みたいな考えからハッピーな風習に。
太陽に近づく思想、楽観的な私としては共感でしかなく
メキシコって骸骨のモチーフが多いんですが、
骸骨もすごくハッピー。
日本だと死というフレーズは結構暗いイメージだけど、
メキシコでは死は神に近づくことができて、自然な事、
喜ばしいこと的な考えたのようでとても良いなと。





確かに人間は死に向かって生きてるから
暗い方向へ行くよりは、太陽的な明るい方向へ行く感覚
の方が精神的に良い方向に行きそうだよね。
死んだらメキシコにお墓欲しいなと思ったんだけど
誰もお墓参りに来てくれそうにないよね。








ということで、そんな死者の日のお墓へ行くことに。
オアハカ州(福岡的なとこ)から車で30分の村の墓地に行って
まず一番驚いたのが、お墓に供えるお花。
こんな感じですごくド派で明るい。



そして盛りの文化あってデコレーションがすごかった。
ラブリー過ぎる。



こちらの家族は父親のためにお墓にお花を。
話しかけたけたら、
「お父さんがいないのは悲しいけど、
こういう風にお墓を囲って
家族で父を思い出してる時間はいい時間よ。」と。
実家帰ったらお墓参りするわ。



これを頑張って作ってた。笑



お墓への装飾や「死」というキーワードを通して
生きてる人間ができる楽しみ方を垣間みる。



次に大所帯の家族がいるところへ。
左のおじいちゃんのマフィア感。


15時頃に行ったんだけど、
何時までいるの?と聞いたら
「朝の6時まで!」だって。笑
お墓で皆でしゃべったり、ご飯食べたり
音楽したりするらしい。
その感覚新し過ぎる!


写真を撮らせてもらったら、やたら絡んできて
メスカル(テキーラ的な)を飲め飲め状態に。
普通に割るものなく、差し出されたのは
この梨の味がする芋。笑




3、4杯飲んだとこでこれ以上いたら潰されると思い
逃げるように退散。
でも自分が死んだらお墓で皆で騒いでくれる
なんて想像しただけでも嬉しくて泣けちゃう。
メキシコ最高か。




家や町中ではオフレンダという祭壇があちこに。
もうハッピーの塊みたいでとっても可愛い。




死者を案内するための道しるべ。



とまあ10日間くらいいて
まだまだネタのような事件はあるのでまた気が向いたら。

東京戻って、電車に乗った瞬間に死んだように
携帯をいじりまくっている人間を見てぞっとしたり、
ぶつかってきても何事もなく過ぎてしまう感じ、
(キムタク並みに「ちょっ、待てよ!」と言ってしまった)
こっちが夢の中かと思うほど、
何か東京狂ってるな〜と思ちゃう。




何でこんなになってしまってるのかを考えたんだけど、
東京の人の瞳には
一種の独特な「膜」がかかってるんじゃないかと。
それは他人に対する無関心の、自然の、
おそらくは必要な、一形態なのかもしれないわね。
もうそんな膜がどんどん薄くなって
乱視とかになる日も近いわ。



たまに孤独の時間を過ごすと
人生万歳みたいになるから
知らない土地って大好き。









Feeling good

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