小倉最中アイスを食べている時の
中身が出まくってからが勝負みたいな
自分の中での負けられない戦いってあるあるよね。
もう何も考えずに小倉を出してしまってベトベトで食べちゃう
潔さがあったら戦わなくてすむのに何故こんなに
ベトベトになるのを恐れているのでしょうか。
今更ですが年末年始で「進撃の巨人」を読んだ。
何でブームの時に誰も進めてくれなかったんですか。
周りの友人がもれなく捻くれ者過ぎて、同じようにブームだから
読まないでおこうの精神の塊の友人しかいないのが原因かしら。
簡単にいうと思想×思想×人間の内容なんだけど、
もうこれ現実過ぎるし、最近同じようなシチュエーションあって
私は進撃の巨人の世界に生きてるのではないかと思ったっす。
ものづくりってほぼ思想で生きてるに近いものがあって、
作り手同士の思想の戦いって、交わることが正解じゃなくて
理解することと認め合うこととが大切だなと、
年末の思想×思想の飲み会で学びました。
大人になっても学びしかないけど、
めんどくさい大人(論破したがったり、非難したり)
そんな大人は進撃の巨人の餌食になっちゃったりしそうなので
背中の首あたりをご注意下さいませ。(漫画読んでる人向けの話)
さて今年はどんな歳になるんですかね。
私は年末バーで隣になった映画界の巨匠から
ボトルの粋な頼み方を教えてもらいました。
それはまたこの店に来たいから&来させて下さいの礼儀として
ボトルを頼むっていう、書いてみたら普通のことなんだけど
今までの人生でウイスキーのボトルを頼んだことない私としては
年明け一発目ボトルを頼むのが何だかとても
大人で背伸びをする感じがして楽しみなんです。
ボトルを頼んでも大人になれる訳ではないけど
こういう無意味なようなことが人生を豊かにしてくれるっす。
もちろん一人でロックで真っ直ぐ黙って飲む姿を
2024年も続けて参る所存でございます。
年明けから色々あったけど、
辛い時はちゃんと小さくなって悲しんで
元気とやる気が溜まるまで慎ましく生活して
爆発する時は誰よりも楽しめる人間になっていきたいっす。
ということで今からボトルを頼みに行ってきます。
八代亜紀 「雨の慕情」