2020年12月28日月曜日

堅気の世界じゃない

メリークリスマスも過ぎて年末。

今年は自分でプレゼントを買いました。

(何だかんだ毎年買ってます。)

鼻ピとバタフライチェアを購入。

今日午前中届いて早速組み立て始めたら

難し過ぎて、あとちょっとのところでぐちゃ〜

何だかんだで3時間経過してて、

気づいたら打ち合わせの時間を過ぎてました。

相手から連絡がきて、思わず

「椅子が、、」と言ってしまった自分が恥ずかしい。

バタバタと準備して思わず年末感を感じる。







まず構造からして一人で組み立てれる代物ではなかった。

一人暮らしの人が手を出すものじゃなかった。

誰もそんなこと教えてくれなかったっす。

私が店員やECサイト担当なら強調して

「※一人じゃできません!!!」って注意喚起するくらい。

3時間かかって正解が掴めず。。

とりあえずまだ届いた時と同じ棒の状態なんですが

明日もこの無謀な戦いに挑まなければと思うだけ辛い。





(無力感を感じ諦めた)





ところで今年もブログを読んで頂き有難うございます。

ブログの良いところって一方通行なところよね。

いいね!ボタンもコメント欄もないから(私のブログは削除した)

リアクション気にせず書きたいことだけを書ける。

もちろん不特定多数の人が読んでるという前提で、

読んで不愉快にならないようには気をつけてるのはあるけど

基本的には飲んで気持ち良くなって暇だし〜

友達に言うようなネタでもないからここにメモ代わりにダラダラと〜

書いてて落とし所なくて途中でやめたり〜

文書のノリが悪い時は人生を振り返ったり〜

とこんな感じで適当に書いてる。

そんな文章に対して、会う人会う人に「ブログ読んでますよ〜」

って言ってもらえて嬉し恥ずかし雨あられ。

それに比べて春樹(村上)はすごいよ。

毎日4時に起きて原稿用紙10枚書いて走る。

筆が乗る日も乗らない日も毎日絶対書ききるとのこと。

仕事だからやり切るって感覚なのかしら。

コラムの仕事あったら私も4時に起きて書くのかな。

いや4時まで飲んで書く気がする。

春樹は責任感すごそうだもんね。

人間は責任が伴って習慣化したら行動が変わるからマジリスペクト。






昔イタリアの南部のヴィチェンツァという小さな街に住んでいる

知人を訪ねていたらカルロスカルパの墓地までドライブしようとなる。

イタリアなのに古いロンドンキャブで走るのはとても目立ち

すれ違う人々が親指を立ててグゥ〜!っと合図してくる。

知らない道の景色、乾燥した暑い日差し、イタリア語のラジオを聴きながら

もう拉致されてる感覚で人生がどうでもよくなる時期だった。

知人(おじさん)がそんな私に突然質問してきた。

「責任ってなんだと思う?」

「・・・。」

当時の私には人生で一番難しい質問のように感じた。

いくつか回答したけど納得してはもらえず、

心の片隅にもどかしさがずっと残っていた。







仕事をすると責任って言葉をよく耳にするようになる。

責任って何だよ〜

言葉で言う何だか簡易で所在のない感じが歯痒い。

どちらかというと無責任代表みたいな感じで生きてきたから

責任って言葉が眩し過ぎて考える度に吐き気がした。(今はしないよん)

やればやるほどその言葉は何ですか?からもしかしてこれか。。

みたいな考えになる。それは

「最後に尻拭いできます?」

という堅気の世界じゃないような一言に尽きるっす。






一緒に最後まで飲んでくれる人って責任感あっていい奴だな〜って思う師走。

今年は音楽に本当に救われた年だった。

誰かもこの曲で救われたらいいなと思う。














来年も日光浴びて生きたいxxx




2020年12月16日水曜日

家なき子



朝起きた時に、その人らしい朝を愛せれば
自分の人生を肯定できると聞いたので
朝7時くらいに焼肉をして寝て起きたら
びっくりするくらい胃もたれして、全く人生を肯定できずに
1日を無駄に過ごす日々を頑張って愛してる日々。
 
 
 
 

 
 
最近はちょっと前の私だったらやらなかった
少し面倒で避けてきたことや、やるやる詐欺の年末調整している。
パソコンの動きが悪く色々不具合がすごかったので
アシスタントの子に見てもらうと4年アップデートしておらず
しくしくとアップデートをしたり、
週4日でお鮨屋行ってみたり(お鮨が嫌いになった)、
サーフィン用のウェットスーツを買ったり(今まで友達が用意してくれた)
と思い立ったら即行動し、はまったらそればっかり集中してしまう。
だらしなさと欲の狭間で生きるってすごい大変。
 
 
 
 
 
ここで気づかされる。
これブランドをするにあたって
大切にしてたコンセプト(概念)に沿ってるじゃないの。
以前も書いた、ファッションやるにあたってどんな人に
着て欲しいってすごい大切な部分。
私のブランドは女性特有の気分や逞しさ、だらしなさといった
日々の生活に転がっている感情を汲み取って
服を通してその人らしさの確立をお手伝いするなんだけど、
自分が一番お手伝いされるべきだと気づかされる。




 
必要にならないと人って渇望しないから
現実の中で必要性を考えてアイディアと着地点を行ったりきたりしながら
次のコレクションは作っている。
そんなことを考えていたら隣の知らないおば様が
「安達祐実になりたい。。」とボソっと言っているのが聞こえ
胸が熱くなり泣きそうだった。








生きてる感覚がすごいぞ12月。







Feeling good

ラフォーレ前の交差点で帽子から靴まで 全身ピンクの装いをした 金髪のギャルおばさんが ラジオ型のスピーカーを右肩に背負いながら 優里のドライフラワーの曲に合わせて全力で歌い 練り歩いてた横を通った時に、 あぁ東京に出てきて良かったなと 心が軽くなる のは私だけでしょうか。 東京の...