2020年5月30日土曜日

煩悩

愛することとはどういうことか。
友人と話しているとそんなことを考えてしまった。
愛するっていうと難しいから大切にすると言い換えてみたり、
どういう瞬間に愛が働くのかと想像してみる。



何をするかしないかによってのその人自身の考えより、
どうやら相手のことを置いてけぼりにしてしまって
うまくいかないのかいと感じてしまう。




愛の働く場所は善悪の彼岸のよう。
善悪の判断や道徳を完全に超越した場所にあって、
愛からなされることは全てここで起きてる。
だから愛が働くことは価値の判断や解釈が及ばないもので
本来なら客観的に他人がどうこう言う事でもないはず。




ただ一点どうしても気になってしまったのは
話し合うということ。
話し合うことは誰もがトライすることなのは承知だが、
実は話し合えてるようで話し合えてないというのが
ポイントだったりする。
それは人間都合のいい解釈をし、
何なら威圧的になったりマウントをとったり、
どうしても自分を大切にしてしまう。
悪気がないと分かってても、
熱くなってしまい相手とのバランスを忘れて人は鋭利になれてしまう。
本来ならそのままの自分をさらけ出し、
そのままを受け入れてもらえることを願っているのにもかかわらず。



暴力的な性質を持っているから攻撃をする訳じゃない。
誰かを苦しめたりやっつけるためでもない。
多分、自分の力がどれくらいなのか、
もしくは自分を正当化するために攻撃している気がする。
くだらんマックス。



男も女も自分が大切なのは変わらない。
変われるのが愛ってバーのおじさんが言ってたよ。
変われないと愛は手に入れられないのかい?
誰か教えてちょうだいな。
そのままの相手を受け入れる。
これがずっとできたらもちろんいい。
でもどこかでできない歯車のズレが起きちゃうから
戦争ってなくならないのよね。
こんな気持ちのいい季節、他人の愛を考えて
108種類くらいの煩悩のをラップで歌いたいわ。



ラップじゃなくてJohn butlerでも聴いて
海のような深い蒼を手に入れていきたいっす。











2020年5月25日月曜日

ええじゃないか


たまに気分転換でギターを弾いてて、
爪の白い部分(爪半月というらしい)
カットし過ぎる度に、
もし自分がネイルを綺麗にする女性だったらと妄想をする。
ジェルネイルとかは二度ほどチャレンジしたけど、
3日目には視界の邪魔だなと思い
またお店に行って剥がしてもらうという
美意識の欠如を痛感した。
 



なぜ女性はネイルをするのか。
今は男の子もしてるか。
私の見解だと鏡を見て、よし今日の私可愛い〜!
みたいなものの延長で、
ネイルされた爪って鏡なしでも
自分の可愛いさを認識できるからかな〜と。

 


かという私は剥がれかけたネイルの女性を見ると、
女性らしくありたいという気持ちと
働いててズタボロになってそれでも頑張ってる感じが
好感持ててとても好きだわ。
小さな世界の爪は気持ちを作ってくれる有難い存在ね。






何か最近は政治もSNSの世界も
ノイズが多過ぎて世紀末みたい。
江戸時代の「ええじゃないかええじゃないか!」
みたいな運動で
我を失くしたかのように踊り狂って
世直しを求める社会的な雰囲気できそうね。
(ゆうてもネットの中で終わりそう)
悲壮感マックスで戦うよりは、祭りのような
楽しさや面白さは社会を変えるキーワードだから、
見出して何かやりたいし、
やります!(今決めた!)





8年くらい前に一人で勝手に
「花をあげる大作戦」をやったことがある。
名前がダサ過ぎるか。
その頃何を思ったのか、
ペイフォアードという映画に影響され、
人は知らない人からの善意を受け取ってくれるか
というの単なる実験でとりあえず花を渡そうと思った。
渡すもののお花は貰って嫌な人いないと思い、
表参道のギャルソンの路地を入った道で
両手いっぱいの白い百合の花束を持って、
通りすがりの人に渡すことにした。




どんな人に渡そうかな〜と考えてたけど、
そんなのは無駄なことだった。
十人くらい声掛けたけど、
仕事中とか予定があって荷物になるとか無視とかで
あれれ、これ花自分で持って帰るパターンですか、
みたいな何とも言えない感情になった。




2時間くらい経って、カジュアルめな男性に声を掛けた。
私「すみません、このお花貰って頂けないでしょうか、、?」
男性「えっ、いいんですか?うわ嬉しい!!でもどしたの?」
といった感じですぐ受け取ってくれた。
そこから質問攻めにされたが、
実験の経緯を話すと男性は面白がってくれ、
何だかんだ一時間近く話した。
「この花貰ったから僕も何か誰かに勝手にするね笑」
別れ際に言ってくれた。
お別れに名刺くれたら、その時のmixiの社長
あ〜そういうことかと納得した。




実験の考察は知らない人からは
気軽に貰わない人の方が多くて、
(タダより怖いものないもんね)
貰ってくれた人はリレーを勝手に
してくれそうな人だったということだ。
あとお花が大き過ぎたか。






小さい世界を豊かにすることは
知らない世界に響くきっかけかも知れない。
解像度あげて、動き出そう。




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2020年5月10日日曜日

おざなりの花

やる気を出そうと思い、
久しぶりに風の谷のナウシカを7巻ぶっ通しで読んだら
ナウシカが優し過ぎて読み終えたら辛くなってしまった。
優し過ぎる人を見ると心配になってしまうし、
やる気の出し方を完璧に間違えた。
※やる気についての考察はこちら。




花屋がカーネーションで賑わっている。
母の日か〜となる。
親との関係って人それぞれだから
こういう半強制的な日は少し苦手だったりする。
屈折して捻くれてしまったが、
こんな私は母とはかなり仲がいい。
嬉しい事があれば電話するし、
大変なことがあれば電話するし、
感動したこがあれば電話する。
つまり結構電する。




先日の子どもの日には
「私の子どもに生まれてきてくれて有難う〜」
連絡があった。
もう生きている使命を全うしたのか私、
となったがこんな感じのやりとり。




そんな母は最近、本を読み始めたという。
今更かい〜と思ったけど、本を読み始めるタイミングに
早いも遅いもないよね。
私がどんな本を読んでいるのか興味を持ったらしく、
説明すると貸して頂戴となった。
本棚で母に向いてそうな本を探すと
一冊の本と久しぶりの再会をした。




「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」
この本はWEBマンガを適当に見ていた年前に
題名がエグいなと引っ掛かってしまい、
WEBで公開終了後に改めて本で買う事にした。





タイトルは誰にでも共感することじゃないかもしれないけど、
読むうちに作者の考えや個人的な事、親との関係性が
自分にもあるかもと想像するだけで、
もうね、訳が分からないくらい涙が止まらない。
他人事に思えなかったからかもしれない。
読み返した夜、母に送るか迷ったが
これは入れずに自分の棚へ戻した。
普通に考えてこのタイトルを親には送りつけれないわw




本を読む上で気をつけていることがある。
本を読む度に作者の考え方に触れ、真に受けてしまいがちで
最悪な読者になりそうだなといつも思う。
受け入れつつも、自分の考えとぶつけ合わずにいたら
本は腐ってしまいそうだよね。




毎年お願いしている花屋で花を送ろうとしたが、
今年は地方発送を受け入れてないというので
自分用に買うのに店内を見回ることに。
花を見ると、色や形などで判断してしまうけれど、
それ以前に「生」としてこの世にあることを
忘れてしまいそうになる。




帰りの道端で咲いている花を見ると、
この誰にも見られていないおざなりの花の存在が
とても愛おしく感じる。
そしてこの存在はSNSの世界では出会えないなと
最近つくづく感じ立ち止まっていた。
友達のことも知った気でいるかもしれない。








ナウシカにはなれないけど、
立ち止まって「生」に向き合い、
ドラゴンボールに出てくる元気玉みたいに
やる気を集めて生きたい…w





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2020年5月4日月曜日

雨が降ってきた

気持ちのいい夜。
何も考えずに生きていけそうな空気感がある。
家がなくても大丈夫なんじゃないかとか。
裸で外でれるんじゃないかとか。
朝起きたら虫になってるとか。(カフカの変身か)
心地よいというだけで余計な想像が膨らむ。





パリの友人の家に転がり込んだバックパッカーの時代の時。
(厳密に言うと友人の彼氏の友人の部屋だったんだけど)
1週間くらい3人で小さな部屋で過ごした。
友人の彼氏は失業中か働く気がないか分からなかったが、
とにかく優しくて、朝から近くの市場で新鮮な魚を買ってきて
美味しいムニエル振る舞ってくれたりした。
皆お金はなかったが、お金がないなりの楽しい遊びをした。






コインランドリーで洗濯機を回しに行く。
待っている時間カフェで時間を潰す。
できあがったら乾燥機にはかけず、部屋で干そうとなる。
ベランダがないので、部屋中にロープを交差させて干す。
お互いの下着事情に笑い合う。
友人のパンツはラブリーなハート柄だった。






公園へ行こうとなる。
適当にワインとつまみを買う。
お金を払わない代わりに、彼は荷物持ちの係になる。
何て言う公園かは忘れてしまったが、
蓮の花がたくさん浮いている大きな公園だった。
布を広げ、お酒をのみ、ただただ寝て飲む
今日と同じような風が吹いてたなと思い出す。





日が沈んだので帰ろうとなる。
すると大粒の雨がいきなり降ってきた。
もちろん傘は持ってない。
敷いていた布を上に持ち上げ二人が先頭を走る。
街頭の光が布越しに透けている。
夢中で森を駆け抜けた。
私は布の中から二人を追いかける。
周りは暗いはずなのに、布の中から見える後ろ姿、
間から見える世界がとても眩しく、今でもはっきり覚えている。
雨でずぶ濡れになって、部屋に戻り服を脱ぐ。
順番にシャワーを浴びるが3人目でお湯がタンクから足りなくなる。
もちろん3人目は友人の彼氏だった。
水のシャワーを浴びた彼に、私達は温かいコーヒーをいれる。





こんなことを書いていたら、雨が降ってきた。
何を書こうとしたかも忘れた。
人は死ぬ前、走馬灯のように
色んな光景をフラッシュバックするという。
たぶん布から見た光景は思い出す一つだと、
今日みたいな夜は思う。






あと何度こんな体験ができるだろうか。
切りとられる瞬間は誰も教えてくれない。









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Feeling good

ラフォーレ前の交差点で帽子から靴まで 全身ピンクの装いをした 金髪のギャルおばさんが ラジオ型のスピーカーを右肩に背負いながら 優里のドライフラワーの曲に合わせて全力で歌い 練り歩いてた横を通った時に、 あぁ東京に出てきて良かったなと 心が軽くなる のは私だけでしょうか。 東京の...