2019年10月7日月曜日

JORKER

完璧な秋になりました。
という訳で映画を乱観しております。
今まで入ったら生活が終ると思ってたNETFLIXに
入ったらもう泥のようにベットに横になり
食事以外ずっと観ちゃって色々なものを犠牲にしました。
ストレンジャーシングスに影響されて
貝が食べれなくなりそうだったり
(デモゴルゴンが赤貝にそっくり)
エルに影響されて坊主になりそうだったり
(美容師に全力で止められる)








そしたらめっきり蔦屋に行かなくなり、
久しぶりに行った時の反動がすごくて、
5本くらい借りて2本しか観れずに返却したら
返却日を間違っており何食わぬ顔で延滞料金を払い、
蔦屋にしばらく行くのはやめようとなりました。




でもNETFLIXにはないジェケ借りの楽しさや
(好きなものって人間そうそうぶれないので
ジャケットで惹かれるまま何気にチョイスし、
見始めて10分くらいでこれ観たことあるわ!
となるがジャケットを覚えてないので、
また懲りずに借りてしまう、好みは変わらない説)
昔のものや、気分にあったものを真剣に時間を使って
「選ぶ」ということに全力を注ぐ時間が好きだったりします。




選ぶというと、「自分の力」で選ぶというより
外部の影響が強いという話を以前のブログで書きました。
それもそのはず、育ってきた環境や躾、教育、
友達になった人や、生まれた国、宗教、仕事など
色々な影響を含め「ベストな今」が「選ぶ」という行為。
そんな私はどうしても映画「JOKER」を観たい衝動にかられました。
バッドマンやダークナイトで知られるジョーカーの
誕生ストーリーなんですが、もうすごかった。
もうマッドマックス〜怒りのでスロード並みの、
とてもシンプルに人間が堕ちるという過程を
ホアキン・フェニックスの怪演で汗ばみまくったのよ。





ホアキン演じるアーサーは「トゥレット症候群」という
笑っちゃいけないのに笑ってしまったり、
言っちゃいけないことに限って言ってしまう精神疾患で、
真面目で優しい男がどんどん追いつめられていくのよ。


もう何かその虐げられ方がえぐいけど
全然他人事に思えない世界だったり、
資本主義や人間心理、社会心理をアーサーを通して
正しく悪が生まれ、真面目に狂気が描かれてて。


磁力のある笑い声(トーンが高くなるように感じる)、
痩せた背中から伝わる悲壮感や、
(母を殺してしまってから、部屋に帰って座ったシーンの
後ろからのカメラワーク最高か)、
太極拳のようなダンス(今思えば怖い)、
青の涙、
窓に映る顔、
足の貧乏ゆすり(会話をしながらのこういう小さな仕草最高)、
心が壊れる瞬間の数々、
もうジョーカーまっしぐら。




ロバートデニーロとの対談のシーンでの、
「俺は俺の人生をずっと悲劇だと思っていた。でも気づいたんだ、
これは傍らから見れば喜劇なんだよな」
(たぶんこんなセリフだった気がする)
もうチャップリンのオマージュ半端ないですわ。
誰かがチャップリンって全然笑えないって言ってたんだけど、
それは労働者の真似をしてバカにしてて、
そこで笑わせてるように見える視点だからで、
実は辛い現実だから笑ってないと精神が
どうにかしちゃうからの視点の方が大切なのよ。




話それちゃったけど、まあジョーカー最強説。
HUNTER×HUNTERで誰が最強説かと同じレベルの最強説。
(HUNTER×HUNTER好きの方、一度はやってるよね?)
全てのことを笑いに変えてしまう、
どっちかというと笑ってないとやってられない、
この心理ってめちゃくちゃ怖いけど、、ちょっと分かる。
どうしようもないことがあると笑ってしまう感じに近いわ。






多分この映画を観ると誰しもがジョーカーになりうるという
感想を持つと思うけど、
ホアキンのインタビューで、
「ジョーカーのように情緒不安定になっている人間にとっては
何でも起爆剤になり得ると思う。だからこそ議論するんだ。
問いを投げることを恐れてはいけないと思う。」と。
今の時代に刺さるというより、
資本主義社会の人間ならではの禍々しい葛藤に向けるエールなのか。。
まあ捉え方なんて色々なんであれですけど、
ホアキンの持つ深い皺に惚れましたわ。






とは言え、ジョーカーって最強だよね。
それは力が最も強いという意味ではなく、
敵を敵とみなさずゲームのような感覚で
軽やかに生きるという意味で。
周りを見渡すと結構ジョーカーみたいな友達いたりして
何だかなゾッとする今日この頃です。
笑っても何も変わらないことがいっぱいなので
とりあえずやるべし。








2019年9月8日日曜日

加減

夏と冬どちら派ですか?
というもう本当にどうでもいい質問をされなくなる
秋の雰囲気が漂う時期がきました。




もちろん冬派なんで冬と答えますが
夏は夏のいいことも見いだせてます。
(女性の白い二の腕とか、
おじさんの足の露出具合とか、
ひび割れた踵とか、
帽子脱いだ後の髪をかきあげる感じとか)





夏派の人の気持ちも分からない訳ではない。
夏のいいところは結構瞬間的で
私の言葉でいうならニヤポイントが高めなんです。
(ニヤっとしてしまうポイントのことです。)



そんな夏にさよならなんて気軽にできるんです。
有難う、夏!







話が少し変わりますが、
最近なんか物欲があんまりなく
(逆に食欲はすごくて、、
何食べる?って聞かれたらお肉がいいという一択)
菅付さんの「物欲なき世界」を思い出してしまいました。
こちらざっくり言うと欲と資本主義に関しての話です。







こちらの本、たぶん素直に生きてる人には
あんまり刺さってこないかもと思ったんですが、
逆にこんな面倒な時代だから刺さる人は多そう。
欲の指針に迷ったら一読を。




私がこの本で刺さった部分はあとがきで
ジョン・メイナード・ケインズの
「懸命に努力するようにしつけられたのであり、
楽しむように育てられてない。」
の一文でした。





そう、
努力するように躾けられるのは100歩譲るとして、
(努力という言葉震えてしまう、それを躾けるのも怖い)
楽しむように育てられてないという
もう本当に人間の生きる尊厳ナッシング過ぎる前提、
欲という本能を抑圧してしまう社会や時代に吐き気が、、




単純に気持ちが動くことには欲が働くのよ。
綺麗になりたいとか、良く見られたい、
あの人に好かれたいとか。
これはプラスの方で、マイナスも欲がもちろん働く。
お金を盗んだり、人を陥れたりと。




そういう欲という本来自然なものを
理性というフィルターを通して生きてるんだけど
どうやらこのフィルターの
「楽しむ」というカテゴリー
別名「興奮する」
が段々ニッチになるというね。
だから興奮するものに会えたら
是非即買いをお勧めします。
興奮できるってめちゃくちゃすごいことなので、
迷ってる人見たら
興奮するかしないかの指針を薦めたいです。









ということで、そんな隙間な方々に向け
KOTONAは展開できたらと思うので、
10月から不定期にお店をすることにしました。
こちらの詳細は後日またブログにて。





こちら私が最近欲しい!と思った絵なんですが、
初日に既にソールドアウト!
初個展ですごい。。
武田鉄平さんという方です。
お値段的には3桁ですがまだまだあがりそう。。










あと9月21日から渋谷でポップアップするので
そちらの詳細も後日。
本当は服の塩加減について加工と思ったんだけど
欲について書き始めたら止まらず。。



今日も興奮するために
お肉一択の人生を。
もちろんお野菜の日もあります。
それでは素敵な秋をxxx









2019年5月22日水曜日

愛を越えるもの

日中過ごしやす過ぎて、
新しいアトリエのベランダにただただ滞在し、
最近はまっているアールグレイのリキュールを牛乳で割って、
(ノンアルコールのカルーアみたい、
というかカルーアはお酒じゃない)
毎日気持ち良い日々を過ごしてます。




ゴールデンウィークにアトリエ引っ越しをしました。
今までシェアアトリエで3年間お世話になって
皆と離れるのがすごく寂しくて
ちょっとセンチメンタルになってたけど、
6階から別館の8階に引っ越しただけだったので
結果的に大丈夫でした。笑





新しいアトリエでは
何を隠そう人生初めてモルタル施行をしましたよ。
ザ・オフィスのカーペットが気に入らず、
かっこ良く仕上げたいと素直な欲望のまま
床をモルタルにしたいって思ってしまい。
お見積もりとったら想像の3倍をいくプライスと
納期が全くないとのことで。。
(再来週やって欲しいみたいなノリだったので)
それじゃ自分たちでやるか!との軽〜いのりで
やり始めたのが大きな過ちでした。




このカーペット本当に嫌い。
(管理人さんに天井の高さを測らせる笑)




まずモルタルって何よ?からのレベルです。
モルタルとコンクリートの違いを調べたり、
モルタルはモルタルで色んな用途のモルタルが存在したり、
というか50平米をやるのにどれくらいの量必要?とか
混ぜるの人間じゃ無理じゃない?とか
もう問題は山のように出てきましたよ。



三日間くらいはモルタルについてずっと調べてました。
(仕事しなよ♥︎と思った方は大正解)
プロの左官屋さんに聞いたら1人前になるには10年かかると。
まあ1級左官職人とかが存在するんだからそうだよね〜
youtubeで素人さんがモルタルチャレンジするのあったけど
よく分からな過ぎて無駄にリサーチしたり〜
と色々心折れる事があったりしましたが、
偽物のフローリングで仕事している自分を想像したら
吐き気がしたので、もう将棋でいう詰みの状態モルタルしました。



心理学的に偽物のものを纏ってたら
人間は嘘をついたり、頑張らなくなるということを
思い出してしまったからかも。笑




結局25kgのモルタル粉を15袋ほど購入。
ちょっと想像してみて欲しい。
25kgってレディーが持つ重さじゃないんです。
(お米だって持ちたくないもん。)
めちゃくちゃ重かった。。


それ以外の道具も買った後、
レジのお兄さんが
「確認なんですが、撹拌器あります?」
「カクハンキって何ですか?」
「粉と水を混ぜる道具です。」
「ないです〜じゃ下さい〜。」
「うちでお取り扱いはございません。」
「え、どうやって混ぜるんですが?」
「撹拌器じゃないと粒子が細かいので無理ですよ。」
「売ってない?」
「はい、ございません。」
「有難うございました。」
(youtubeに撹拌器いるっていってなかったよ!)



とそんなやりとりがありつつ、
お店を出て即行でアマゾンでポチりました。
というか必要なもの揃ってないのに
知識全くない人にモルタル15袋も薦めるなんて
何てタイトなお兄さん!とブツブツ。笑




一日目は3人、二日目は7人の友人に
お手伝いしてもらって終りました。
作業内容はもう割愛しちゃいますが、
(今度直接聞いて欲しい)
ただ一つ言える事が
床が平らな事は当たり前じゃないということ。笑
友人に左官のプロはいないので
小さなコテで床にモルタルを必死に塗りましたが、
良い感じに小さな波がうってます。
床の雰囲気がすごいです。






お陰様でアトリエで何が一番好きか聞かれたら
「床!」って自信を持って言えます。



そしてもう腰と手がガタガタで。。
人生で二番目に辛かったです。


お手伝いしてくれた人、本当に有難う。
同じ釜の飯の仲間じゃないけど
同じモルタルの仲間だと勝手に心に刻みました。




物の価値は、その創造に込められた愛の深さで変わると
大好きな家具デザイナーのアイリーン・グレイが言ってて、
今全てを越えて愛してるのは、アトリエの床かもしれません。
朝一誰もいないアトリエでモルタルに挨拶しちゃう感じです。




孤独と引き換えに自由を手にした今、
今シーズンは床を越える愛すべきものをつくる事です。
魂がはみ出てしまいそうな季節、
皆さんも素直に生きてみてね。





追伸
今日アトリエにカーテンつきました。
カーテンも作ったのでカーテンも愛してる!



2019年4月11日木曜日

公園

どこか知らない土地に行く感覚は
自分が試されているかのようで心地よい。

航空券だけ買って、
現地で適当に歩き回って
よく分からない場所にたどり着いて
あぁ面白かった!みたいな
きっちりしてない感じがいい。

前は時間が無限大だったから
そんな行き当たりばったりができていたけど、
今は見たいものを決めて行くことが多く
すごく窮屈な感じがするのよ。
本当「目的地」って言葉嫌いだわ。。笑



デートとかで3つくらい行くところ
決まってたら、笑えるしもうその時点で別れそう。



そんな話はさておき、我らが巨匠(勝手に)
イサム・ノグチを調べてたら
北海道に先生が手がけた巨大公園が
あるというので行ってきた。

「モエレ沼公園」

発音しにくいよね。
元々ゴミ集積所だった
東京ドーム40個分の莫大な土地の公園。



一日中遊べますよ。
園内は自転車で回るのがお勧め。


何コレ。
どうみてもルーブル美術館のじゃん!
と思った方は大正解。
ルーブルのガラスのピラミッドの
イオ・ミン・ペイ先生をオマージュしてます。
中はギャラリーで、
ガラス越しの光がとっても素敵でした。



そして至るところにイケてる遊具が。
先生のカラーチョイス、格好良過ぎ。
子どももびびちゃうわ。







よく分かんないのもたくさん。
近くに行ってみると柱の元部分が
なぜか水たまりで、このディテール何ってなったわ。




一番笑ったのは40分間ある噴水のショー。
とりあえずスタートが48mの水柱からの〜
いろんな水の変化がこれでもかって。
噴水だけを40分見たの生まれて初めてよ。
想像できる?水の変化を40分間よ。


(これは霧状態)





とまあ公園を一日徘徊し、
公園に潜むイサム先生の狂気に触れ、
もっとバカになりたいと思った。





ゴミの山越しの北海道が眩しかったわ。
公園作りたい!









2019年1月31日木曜日

おさぼりちゃん

お久しぶりです。
2019年が始まって1ヶ月経とうとしている中
何をしてたかというと展示会モードに向けて
私お恥ずかしながら、馬のように働きまくってました。


ずっと一つのことを考えるって集中力もいるし、
自分の答えを見つけ出すのはストイックモードに入らないと
私の場合は全く無理で。
俯瞰してみるためにやっているのが
そう「おさぼりちゃん」です。



近所の喫茶店(ドラゴンボールの精神と時の部屋みたいな)で、
ファンキーな少女のような上品なあっちゃんと話している時間が
何より私をリセットさせてくれます。
(1時間が5時間くらいの体感)



そんなあっちゃんとの会話で、
どんな人にKOTONAの服を着て欲しいかと書き出していた時、
あっちゃんにも私の服を着て欲しいなと思って、
あっちゃんの休みの日の生活を聞いてみました。


お休みの日はランチでビールやシャンパンを飲んじゃうとか、
昼パスタ、おやつにまたパスタ食べちゃうとか、
レコード屋いって何かないかな〜とか
かなり欲深い可愛らしいスタイルで生きてました笑
こちらがあっちゃん。大好き!







今の時代のブランドのコンセプトは
独立心のある強めの女性像〜的なのが多い印象があるけど、
私はどっちかというと他力本願且つその時代と寝れるくらい
身軽で欲深い女の方が大好きだし、
そんな人生を楽しめる人に着て欲しいと思っています。
女性を応援するというより、
一緒に楽しめたらというスタンスに近いです。



そして私の周りの友達は楽しみまくっているので、
(皆愛すべき欲深い子ちゃん)
友達が着てくれるのってすごく嬉しい。





本気で女性の気持ちと歩み寄って関わりを考えてからこそ、
女性の魅力や血迷い感などに気づけるので
本当この仕事って楽しいなと思います。




因に私は何も持ってない人が好きです。







2018年12月1日土曜日

熊手のお陰様

もうあっという間に12月1日。
2018年も31日で終わりなわけで。
只今2019AWの商品を作ってるんですが、
それが終ったら2020SSとかの話になり
もう2020年来てしまうの?と
時の流れにホラーを感じます今日この頃です。



そんな中、酉の市に行きまして
新しいのを買おうとした日の事です。
少しづつ熊手を大きくして商売繁盛の
験を担ごうと思って行ったんですが、
ふと冷静になってしまいました。



今年はこの熊手を見て頑張ろうと思った瞬間が
1秒もなかったと!
別に熊手が悪い訳じゃないんです。
ただ熊手にかける思いが足りてなかっただけなんです。
1年に1回の買った瞬間は頑張るぞと
奮起させてくれる存在であったかもしれないけど、
それよりも奮起させてくれる物事が多過ぎて
熊ちゃんは私にはそんなに必要なかったのです。


ということで今年は熊手を買わず
お礼を言って奉納し(グッバイ熊手)、
その買わなかった分のお金で本を購入しました。




その中の一冊に永井均さんの
「マンガは哲学する」を購入。



漫画に潜む"狂気"が
分かりやすく紹介されてます。

私は少年ジャンプを小2から読んで育ったので
どれも目から涙の解説と新たな視点がいっぱい。
ファッションと共通する大狂気なこともあるので
正月の1冊に是非お手にとってみて。
ジャンプで思い出したけど
ハンターハンターが休載で
(当然よね♡)、
富樫先生がもう次の10話分はできているっていう
激アツコメントを出してくれたので
もうそれだけで十分生きていけます。







ちょっと脱線しましたが
その流れで東村アキコさんの漫画
「かくかくしかじか」も購入しました。



作者の東村さんは私と同じ宮崎県出身で、
さらに同じ高校という宮崎のスターでございます。
(そのまんま東と温水洋一だけじゃないよ)
この作品は作者の自書伝で、
絵画教室の恩師の話です。

大人になってなんでふと何でこんなことしてんだろ
って思う事ありませんか?
私はめちゃあります。
でもそんな時、なぜ自分が選んだのか
原点に振り返らせてくれるような
モノや人との出会いがたぶん誰にでもあって、
この漫画はそんな原点を見失ったり、
自分を形成してくれたものを思い出させてくれる
激アツな本でした。


余談ですが、中学から高校まで通ってた
個人でやってる数学の塾があって、
そこの先生もめちゃ変でした。
(60歳後半で一回救急車で運ばれた)
テストで100点取ったら
月謝1000円引いてくれるんだけど、
一緒に行ってた友達皆結構頭よくて
引かれまくってて今思えば可哀想だったな。

そこで勉強のやり方を教わって、
数学が楽しくなって、
学校以外の問題めちゃ勉強させられて
いろんな勉強が楽しくなった気がする。
先生有難うだわ。









こんな感じで熊手から卒業し、
新しい本と出会った私でした。















2018年9月27日木曜日

やる気


展示会も無事に終わり、
何もやるきの起きない現象に襲われ(ちょっとはやってるよ)
パソコンを整理してみると
昔書いた文を見る機会があり読んで驚愕。





私事なんですが、放浪癖がありまして
色んな所に何も調べないで行って珍事件を起こす
っていう一人コントみたいな旅をしておりました。
そんな私が5年前に書いたものを今読んで、
超生意気♡過ぎる目線に、
よくここからファッションをしようかと思ったわねと
我ながら感心しております。



というのも、お題は「やる気」に関して。

そんな人間の起伏を左右する感情の一つに
少し疑問があり、それについての結果を
だらだら書いたもので、
今もこれをコントロールするのは至難の技。
サハラ砂漠で考えた私なりの考察です。笑







※だいぶ長めなのでお酒をダラダラ飲みながら読むのがお勧めです。






気まぐれな「やる気」に悩み、
ときどき感謝して、そしてただ楽しむこと。

これが旅に出て感じたことです。

旅に出る理由は以前から漠然と疑問にあった

「人は人生を変えられるか?」
ということを当てはめてみたく、
行きたい!と思う衝動で行きました。




誰だってその気になれば人生を変えられるっていう
そんな自己啓発本がたくさん。


もし私が啓発本を書いたら、
最初の1ページ目であなたは買った時点でダメですって書きたい。

(性格悪くてすみません)

売れてるのが不思議だけど、そういった本は売れている。
少なからず人は人生を変えられる人もいると思う。




それは否定しないとして、
ただ厄介なのは、言葉の持つ意味の曖昧さ。
言葉というのは、言葉そのものが100%表現できるものじゃなくて、
なるべく100%に近い意味を表すように人間が工夫して使うもので
「言葉は捉え方によって意味が異なる」ということ。
だけど、別の意味でいえば
「人生は変えられない。」
人生って生きてきたら結局一本道で、
これからいくつも道が別れていて自分の力だけで曲げてみせること?
実は真っ直ぐじゃないかもしれない未来を予想してみせること?
この先まっすぐ続くかどうかもわからない道に対して
「変える」という表現は何をもってできるか。




って面倒なことになるにで、
「人生を変える」だと何かすごく曖昧なので
変えるという表現を
「自分の力だけで人生を選択したかどうか」
道を選んだかどうかで考えてみてはどうだろうか。
人生って常に分岐点。
進学するか、就職するか、結婚するかしないか。
何だって人生の選択。
トンカツにしようか、お蕎麦にしようか。
そんな時、あなただったらどちらにする?
結果としてトンカツを選んだとする。
人生を変えるということを
「自分の力だけで人生を選択する」と仮定した場合、
果たしてトンカツを自分の力だけで選択肢したのか。
その瞬間、独立した意思のみで行われることではない。
トンカツを選ぶ瞬間!
自分だけでトンカツを選択したのではない。
と私は思ってしまう。




やれば何でもできるとか、
人に無限の可能性があるとすれば、
その瞬間その瞬間、人は無限の選択肢が与えられるべきだけど、
例えば、昼ごはん何たべようかなーと考えた時に、
無限の選択肢なんて出るはずがない。
お寿司でもピザでも素麺でも何だってあるのに。
だけどそれらが候補に挙がらないのは何で?
って言われれば正にその通り!


その瞬間のあなたが判断を下す以前に
あなたの取り巻く環境があなたを制限しているから。




もし気分だとしら、気分とかそもそも選ぶことができないよね。
その日の体調が悪ければ油っこいものとか食べたくないし、
暑かったら冷たいものが食べたいし、
食べたいものがあってもお金がなかった無理だし、
食べたいものがあっても遠いから行くのが面倒になったりとか。
そんな毎日繰り返す思考の中でどんどん効率化されて
ほとんど無意識の中で省かれていってしまうとしたら、
結果とし残った選択肢のものが
今日はトンカツかお蕎麦。
たった2つ。数がいくつとかの問題じゃないんだけど、
無限の選択肢には程遠い。


どう人生を変えるというのか。。。
今日の私はあえてお蕎麦!
っていうことかしら?
いやいや、そもそも運命的にはトンカツで良かったんじゃない?




この2つの選択肢が生まれる背景には
あなたの人生経験、家庭環境、人間関係などなど
ほぼ全部が関係している。
小さい頃に食べたトンカツがとても美味しくてとか、
お蕎麦が好きで美味しいお蕎麦を探しているとか。
は生きてれば勝手に実行されているとすれば、
その経験自体を、まず独立した経験で選んでいるなんてほぼ無理。
育った環境。
生まれた国。
親の教育方針。
出会う友達。
偶然(必然でも)、生んでくれた親で躾けられ褒められ怒られ生きて、
偶然生まれた国で、その国の文化や言葉を覚えその国の常識に順応し、
偶然出会った友達と、同じ体験を分かち合い、助け合ったりし、
その結果があなたの性格や好き嫌い、あなたの何か判断する力を形成し、
今あなたがトンカツかお蕎麦の選択を迫られている。




そしてこの選択でさえ、以前に起こった偶然の重なりからできた、
性格や好き嫌いによってあなたに決めさせようとしているのかもしれません。
人は判断する瞬間、YES!かNO!っていう役目みたい。
判断する瞬間に今までの経験や性格、その他のものを
ゼロにするなんてできるのか。




だけどそれができない限り、
無限の選択肢とそこから生まれる無限の可能性は手に入らない気がする。
あるのはいつも有限の可能性だけ。
勉強が苦手な人に何で勉強しないの?とかは愚問かもしれない。
その瞬間のその人には、その選択肢はないから。
トンカツ食べれるなら最初から食べてるし、
勉強得意だったら最初から勉強しているよって思う。
つまり環境や状況、やる気動機が備わってる人だと思う。
小さい頃から努力できる人もいれば
どれだけ歳をとっても努力できない人もいる。
努力なんて、その人のやる気次第よと言われればその通りだけど、
じゃあそのやる気ってどうやって操作するの?と思う。
やる気とか操作できたら皆スーパーマンだね!って。


何で?




もっと細かいことを言えば、
例えやる気があったとしても、成し遂げられるかとは別問題なのが
世の中の不公平なのところ。
やる気30%の美人とやる気100%の不細工が同じようにアイドルを
目指したとして、人生見た目が全てじゃないとしても、
見た目が重要視されるような世界でやる気100%の不細工じゃ難しい。
無理とは言わないけれど難しいのは違わない。
やる気は、もちろん高いことに越したことはないけれど、
その人と同じやる気を持っていたとしても
その人と同じ結果が出るわけじゃない。




人生の中でやる気はあるんだけどなぁ。。ってことある。
頑張ってるけど、成功できない、なんてのはまだいい。
やってみたいけど、どうも行動を起こす気に至らない、みたいなこと。
それって自分が持つハードルを越すほどのやる気ではないってことでは。
言い換えればそのやる気を凌駕してしまうほど、あなたが高いハードルを持っているかもしれない。




ハードルっているのを言い換えて「足かせ」という意味で。
あなたの足を引っ張る何かが、実は存在しているかもしれないということ。
行動を起こせない理由は何か必ず理由がある。
安定している生活とを天秤にかけてどちらがいいかを考えた時、
そんな生活を捨てて冒険しようとは思わない。
人のやる気レベルがMAXで死んでも構わないとすれば、
死んでもいいから成し遂げたいと思えるか。
死んでもいいレベルのやる気を持っていたら、
明らかに、その安定した生活を捨てているはず。
だけど、そこまでのやる気はないと。




自身の持つハードルの高さを超えていたなら、
たぶん既に相応の結果や行動が出る。
動機を選べない。
物事は動機が全て。
何かをしたいと思えばそれはできる。
けれど、そういう「何かしたい!」っていう感情はどこからか
急に湧いてくる。
意図して湧いてくるものじゃないと思う。
だから人はその気まぐれな動機に身を委ねるしかないと思う。
(私の好きな歌は美空ひばりの川の流れのようにです)
逆に動機が全然湧いてこない人だっている。
自分が何をやりたいのか分からない、そんな人たくさんいる。
同じ瞬間においては全ての人に通用しないということ。
何でもやればできる。それ自体は事実。




だけど、その「やれば」の話。
たぶん、全ての人に1回以上はやってやる的な瞬間がくる。
だけど実際は人生にタイムリミットがある。
だから生きている間に、もし何かのやる気が来たなら
それはすごくラッキーなことだと思う。




働き者のアリは働き者のアリだからじゃなく
働き者のアリがその「おかれている環境」で働いているからということに他ならない。
だって周りの人がほぼ全部の仕事をできたら
わざわざ自分が働く必要なんてないからそれはサボる者が現れる。
逆に周りの人が全く仕事をしてくれなくて
会社が全然回らない状態だったら望まなくてもしかたなしでも働くしかない。


サボる暇もない。
その時代や環境によって自分の行動が強いられる。
そんなことが少なくとも存在している。
だから、仕事をサボっている人、
いつまで経っても努力しない人、
頑張るって言ってるだけで行動しない人、
どんな人だってその人はその人なりの環境の中で、
何かに仕向けられ、悩んで苦しんで、
それでもその人なりに考えて、生きてると思う。
変な指導者、
刃物を振り回し暴れる人、
そしてこの旅で行ったアウシュビッツ強制収容所を作ったナチスを通して強く感じた。
そう片付けられるかもしれないけど、本当にそうなのか?
そうだとしたら、頭がおかしい人って


自分の意思で頭がおかしくなったのかな。
私はそうじゃないと思ってる。


どんなに狂った考えや行動に見えたって、
その人は与えられた環境と状況がと動機の中で
何かに強いられて生きるしかなったと思う。
その中で、自分が選び、選ばされ続けた分岐路の先に
ただそういう結果があっただけなんだと思う。
平和で安定した環境、未来があったなら、
そんな行動なんて取る必要もない。




行動があるということは
その前に動機があるはず。
動機があるということは
その裏には必ず理由になるような伏線がある。
そしてそれはアリの実験と同じように
働きアリが働きアリであるかは、関係なかったりする。
戦争が目の前で繰り広げられている世界や時代にいたら
夢を持つことや世界をみたいとか
人生とかってさ、、とかそんな戯言は絶対に言えない。
そんな考えは死ぬまで浮かんでこない気がする。
毎日が生死の境。
例えば親を誰かに殺されて絶対に復讐してやるって誓った時、
そこに日本の旅人がやってきて
そんなことしても良くないから、やめなよ。
とか言っても理解できるはずない。
たぶん私の中でこの復讐が悪になりえないから。
だけどそんな人生は自分が好きで選んだわけじゃない。
気がついたら、人の目に見えないレールに乗ってて
自分なりに走ってただけ。




だからその先にある誰かの結果が
いわゆる「悪」だとしても
私はその人を責められないし責めたくもない。
行ったっことのない土地で色々な人と出会って、
その土地の生活や価値観、人の人生を少し見せてもらった。
人はそれぞれの与えられた人生の中で
その人はその人なりの強いられた行動の中で
選んだりしているだけで、
やっぱり自分の力だけで人生を選んだり
何かを特別ねじ曲げてるようには見えなかった。
いつでもその人の、その瞬間のベストでMAXなんだと思う。
だから人を否定したくないし、責めたくない。
人生何も不自由無いなんてあり得ない。
何もしなくても横にそれてしまうよ。
当たり前だけどそれぞれ違う性格や人生を持っている。
同じようにみえる人であっても、
あなたと同じ結果を出せない人もいる。
他人のものさしで
「分かってない」とか「努力が足りない」とか
強い人の理論を言われて、気持ちを理解してもらえない人がいる。
自分を理解しようとしてくれる人ほど大切な人はいないと思う。
だから自分も誰かに対してそういう人になりたいなと思う。
傷の舐め合いとか優しくしたいとかじゃなくて、
ただ誰かの気持ちを理解したい。
それでいいと思う。




というのは人生を諦めてとか希望持ってとかの意味じゃなくて、
人生には可能性がある、ということ。
だけどそれは絶望とか希望とかを持たせるものでもなくて、
可能性はただめちゃくちゃ転がっているだけということ。
人が叶えらるどうかの確立より
世の中における偶然が発生する確立に近いかも。
そう思える人ならすごくラッキーだと思う。
やる気に満ち溢れていて、他人がどうやっても手に入れられない
「やる気」を持っているから。
それは何のためらいもなく存分に活用すべきだと思う。
じゃないと、あまりにも勿体無い。




人生にはタイムリミットがあるからね。
気まぐれな「やる気」に悩み、
ときどき感謝して、そしてただ楽しむこと!
です。
長い文を読んでくれて有難うございます。
今日もふざけて生きます!
これが旅に出て感じたことです。









JORKER

完璧な秋になりました。 という訳で映画を乱観しております。 今まで入ったら生活が終ると思ってたNETFLIXに 入ったらもう泥のようにベットに横になり 食事以外ずっと観ちゃって色々なものを犠牲にしました。 ストレンジャーシングスに影響されて 貝が食べれな...