2024年2月4日日曜日

Feeling good



ラフォーレ前の交差点で帽子から靴まで

全身ピンクの装いをした金髪のギャルおばさんが

ラジオ型のスピーカーを右肩に背負いながら

優里のドライフラワーの曲に合わせて全力で歌い

練り歩いてた横を通った時に、

あぁ東京に出てきて良かったなと

心が軽くなるのは私だけでしょうか。











東京の街中にふと出現する気宇な存在。

見えてるか見えてないかはその人次第で、

気づく人は気づくし見ようとしないと見えない。

それはただ周りと異なってて変だからということで

浮き彫りになっているのではなくて、

ずっといたはずなのに自分のアンテナが

リンクしただけで繋がった存在。

こう思ったきっかけは最近観たヴィムベンダース監督、

役所広司主演の「PERFECT DAYSからモロに影響されている。

観てない方は以下ネタバレになるのでご注意を。

(私はネタバレしてても映画を楽しめる派っす。

好きな映画って内容知ってても何度も感動するし、

捉え方なんて人それぞれだからネタバレしたところで

何やねんと思ってしまう。

性格悪い理由ってここだよね笑)





ストーリーはトイレ清掃員にフォーカスした日常を
丁寧に切り取ったもの。

観た人は口を揃えて役所広司の演じる平山がいかに素晴らしいか、

ヴィムの日本を撮る視点の美しさ、

移動中だけ流れる平山の選曲のエモさなどなど

語り始めるときりがない。

あと書いてて思ったのはやはり映画は

いい表すことができないことを

映像とストーリーに落とし込んでいるから、

こんな陳腐な感想じゃなくて観て感じて欲しい。

百聞は一見にしかずっす。











この映画の中のホームレス役が田中泯だった。

ご存知の方もいらっしゃるとは思うけど

日本を代表する舞踊家で御年なんと78歳。

その田中泯を何と代々木公園に

木漏れ日と黄昏るホームレスとして起用していた。

平山はそのホームレスが見えていて、

喋りかけはしないが何度も目で追うシーンがあった。

あの意図はなんだろうと思っていた。

いてもいなくても完結する存在なのに気になってしょうがなく、

何なら映画の中でとてもポイントになる存在になっている。

監督の意図と私が感じたことが100%合ってるとは限らないし

合ってなくてもそれぞれの解釈でいい。

ただ自分で見える存在を感じることが世界と繋がっていることなんだと思った。

平山の言葉を借りると

「世界は繋がってるようで繋がっていない」

だが、その言葉にも激しく共感した。






観終わった後、映画が良過ぎてパンフレットを買った。

今後この映画を何度も観たいなと思ったし、

作り手のストーリーやインタビューを知りたかった。

その中で田中泯の直筆の寄稿が載っていて、

こんなことが書かれていた。





「オドリは眼に見える擬似が最優先する業界になってしまった。

能力と運動神経そしてリズム感、

スタイルなどがオドリへの評価基準に成っている。

そうだろか。

オドリは言葉を待ち望んでいた人間が始めた

感覚や思いの表出だ。

その証拠に現代でもオドリは言葉に出来ない、

言葉以前、言葉で決定出来ない・終われない物事の

カラダからの表出として現れされる。

感情も感覚と考えるならば、人間の営みは

感覚と活躍とその認知で満ちていたと思います。」










あぁ、何という力強い言葉だ。。

もう泯大好き。

というか本質捉え過ぎて背筋が整う気持ちと

78歳でこんなピュアな心の人がいることに

本当に有難い気持ちでいっぱいになった。

(ありがてぇ〜って何様だよ笑)




ファッションって尖ったことをしてそうに見られがちだけど、

オドリと同じく実はとてもプリミティブなことをしている。

より良い人間になりたい欲の外的なサポートと

内的サポートを一緒にしているし、

着飾るといった原始時代でもやっていたことを

今もやってるアナログな世界だ。

オドリよりも時代の背景や人間観の流れが早いから、

改めて表現することの意味や作ることの意味を

考えされられるとても力強い文章だった。






見えてるものと見えていない世界、

繋がってるようで繋がっていない世界、

それでもクソみたいな素晴らし日々の中で生きてる、

ふとした瞬間に平山になれたらどんなに幸せかと思う。

毎日アトリエに向かって自転車で爆速しながら

音楽を聴く自分と照らし合わせてパーフェクトデイズするっす。








寝る前に思い出すあの全身ピンクの

ギャルおばさんがダントツ素晴らしかったっす。

優里のドライフラワーでも聴いてもらいたいところだけど、

ここはもちろんこの曲で。


Nina Simone     「Feeling good」









2024年1月15日月曜日

思想

 

小倉最中アイスを食べている時の

中身が出まくってからが勝負みたいな

自分の中での負けられない戦いってあるあるよね。

もう何も考えずに小倉を出してしまってベトベトで食べちゃう

潔さがあったら戦わなくてすむのに何故こんなに

ベトベトになるのを恐れているのでしょうか。










今更ですが年末年始で「進撃の巨人」を読んだ。

何でブームの時に誰も進めてくれなかったんですか。

周りの友人がもれなく捻くれ者過ぎて、同じようにブームだから

読まないでおこうの精神の塊の友人しかいないのが原因かしら。

簡単にいうと思想×思想×人間の内容なんだけど、

もうこれ現実過ぎるし、最近同じようなシチュエーションあって

私は進撃の巨人の世界に生きてるのではないかと思ったっす。






ものづくりってほぼ思想で生きてるに近いものがあって、

作り手同士の思想の戦いって、交わることが正解じゃなくて

理解することと認め合うこととが大切だなと、

年末の思想×思想の飲み会で学びました。

大人になっても学びしかないけど、

めんどくさい大人(論破したがったり、非難したり)

そんな大人は進撃の巨人の餌食になっちゃったりしそうなので

背中の首あたりをご注意下さいませ。(漫画読んでる人向けの話)










さて今年はどんな歳になるんですかね。

私は年末バーで隣になった映画界の巨匠から

ボトルの粋な頼み方を教えてもらいました。

それはまたこの店に来たいから&来させて下さいの礼儀として

ボトルを頼むっていう、書いてみたら普通のことなんだけど

今までの人生でウイスキーのボトルを頼んだことない私としては

年明け一発目ボトルを頼むのが何だかとても

大人で背伸びをする感じがして楽しみなんです。

ボトルを頼んでも大人になれる訳ではないけど

こういう無意味なようなことが人生を豊かにしてくれるっす。

もちろん一人でロックで真っ直ぐ黙って飲む姿を

2024年も続けて参る所存でございます。






年明けから色々あったけど、

辛い時はちゃんと小さくなって悲しんで

元気とやる気が溜まるまで慎ましく生活して

爆発する時は誰よりも楽しめる人間になっていきたいっす。

ということで今からボトルを頼みに行ってきます。






   八代亜紀 「雨の慕情」




























Feeling good

ラフォーレ前の交差点で帽子から靴まで 全身ピンクの装いをした 金髪のギャルおばさんが ラジオ型のスピーカーを右肩に背負いながら 優里のドライフラワーの曲に合わせて全力で歌い 練り歩いてた横を通った時に、 あぁ東京に出てきて良かったなと 心が軽くなる のは私だけでしょうか。 東京の...