2025年7月4日金曜日

デートの感覚を



美術館や博物館を観て美意識を高めること、


美しい音楽を聴いて感情を揺さぶること、


美味しい食事をして満たされること、


好奇心を駆り立てる旅をしたような読書をすること、


私にとっては全部同じだ。


パリで友人とポテトを食べながらアペロールをしている際に


人生で何を大切にしているかを適当に聞いてみたら


友人は色んな経験をすることと言った。


続けて死んだら何も持っていけないからね〜と。


結構いい答えだなと思い、


自分は何を大切にしてるか自問自答し考えてたが、


異常気象の灼熱のパリを歩き疲れたのでビールを流し込んで


答えるのをスルーした。




フランス語を上手くなるにはエスカルゴを食べろらしい










ファッションウィークのパリに久しぶりに来た。


色んなブランドの展示会を見させてもらったが、


ブランドのモノ自体の良し悪しよりも、


それを取り巻く環境や人の温かさや優しさとか


ホスピタリティとシャープさのを感じる方が大切だと心から感じた。


というのもいい服はいい環境にあって欲しいし


素敵な人に伝わって欲しい、それがどう伝わっていくかの過程や


一体いつまでこのルーティンが続くのか色々考えさせられた。


服をも超える関わり方や独自性や創造性など


もっともっと針の穴を通すような繊細なことが必要だし、


もうそういうブランドじゃないと存在の意味がない。


デザインをすることより空気をいかに作るかの時代か。


みたいな事をブツブツ思いながら過ごしてたっす。









ピノー財団で催されていたセレスト・ブルシエ=ムジュノの展示に


知人の子供の9歳の男の子とデートをしてきた。


約束をして二人で目的あるところに出かけらデートだと


思っていたのだが、彼はこれはデートじゃないと拒否していた。


じゃ何がデートなの?って聞いたらはぐらかされた。


こちらもデートのコーディネートに一生懸命なので


何食べたい?や喉乾いてない?暑いからちょっと休む?など


嫌われないように必死すぎて、パパ活ならぬママ活状態に。


展示は円状のプールに無数に浮かぶ大小の丸い皿が浮いてて


水流でセラミック製の皿がぶつかり合う無数の音が奏でる音楽が成り立っていた。


男の子との会話で何で皿が丸いと思う?やこの皿の数どうやって決めと思う?


皿が楽器になってるって面白くない?太陽が乱反射してるあそこ綺麗じゃない?


これも音楽なんだけど、この音楽どう思う?ここの空間気持ち良くない?


みたいな話をし、これがデートの醍醐味だよと話したら


ふ〜んみたいな顔をされて会話が終了したっす。


あと10年後とかに分かってくれたらいいなと思い、親元にリリースしたっす笑






これが俗に言う匂わせでしょうか笑










フォトグラファーのティルマンスがポンピドゥセンターの


改装前最後の大規模な展示をするとのことで行ってきた。


言わずもがなだけど、歩けばティルマンスといった


莫大な量の写真をあのバカ広い空間にリズムよく軽やかに展示されていた。


ティルマンスの写真は日常のこぼれ落ちている瞬間を


詩的且つ情緒を感じる。


何点展示されていただろうか。


あの空気を編集したキュレーターにも感服したし、


日本だとあの感じには仕上がらないよな〜と思い、


(空間特異性や湿度やトリミングの仕方など)


心から観れて良かったと思う展示だった。















冒頭に戻るが素晴らしい体験をするとすごく心が豊かになって


醜悪な人間と出会ってもスルーできてしまうくらい


善の領域に入ってしまうが、年齢のせいか曇り眼鏡せいか


すっと心の奥底に落ちる感動が限られてきてしまっている。


9歳の男の子とデートする感覚くらい


全てのものに気を遣っていけたらもっと人生が良くなる気がした。


ということでこの夏はいっぱいデートしたいっす。


デートって響きが尊い。。






Peace piece --- Bill Evans
















2025年5月31日土曜日

人は見えるものを欲しがる



ちょっと前に人を信じることがバカらしくなった出来事があった。

よく行くバーのオーナーにその話を吐露したら、

野島伸司の「世紀末の詩」という本をお勧めされたので読んでみた。

生きることに絶望した二人の男の話なんだけど、

一話一話扱っているテーマが普遍的な内容で噛み締めるように読んだ。













その中の一話で、男に騙され続けてきた女性と

過去に色んな前科があり、逃走中に交通事故に遭い

足が不自由になった絵描きの男性との恋の話があった。

ある日女性が母の形見のサファイアの指輪をその男性に見せたことがあり、

暫くするとその指輪が部屋からなくっなっていた。

男性はその指輪が偽物だということが分かり、

本物のサファイアの指輪とすり替えるために黙ってやろうとしたのだが、

女性は男性が盗んだと疑ってしまった。

大切な指輪を盗まれた悲しみと、

この男だけは信じてたのにという腹いせで車椅子の男性を

線路に置き去りにして行ってしまった。

そして置き去りにされた男性が最後、

女性に向かって微笑んだという一文があったのだ。










恋人を信じられるかという話なんだけど、

信じることと疑わないここととはどういうことかを考えさせる

すこぶる後ろ髪が引かれる一話だった。

相手が自分を愛してくるれから、相手が何かをしてくれるから

人を愛するのだろうか。

相手の本当の姿が自分の見ていたのと違ってもそれを受け入れることが

できるかできないかは最早自分の信じる力なのだろうか。

愛とは一方的だな感じる反面、最後に全てを分かって

女性に微笑む男性の許す愛が全て過ぎて涙が止まらなかった。







というのを友人に話したら、

人が裏切るなんて当たり前じゃ〜ん☆

裏切るとか裏切らないとかじゃないくて

一緒にいる自分との時間をマックス最高にすることしか

できないのだから、マックス目指しましょ☆

みたいな回答をもらったので本当この友人最高〜!ってなりました。









人は会ってる時間、会ってない時間も

全てをすの人を知ることなんて不可能だ。

例えば教養があり、しかも美しい人を探すというなら

美しい風景を眺めるように、ある場所のある角度からの

展望のみが美しいのだから、人も同じように全体を見なければいい。

みたいな話になるのだから人には理想がない方がいいのかもしれない。

それは否定的な意味ではなく、人を間違いなく理解することなど

私たちは所詮できないからということを

知っておくことが大切なのかもしれない。







別件なんだけど、今流行りの詐欺の電話がかかってきました。

もちろん気付かず警察のフリした知らない人と1時間半も電話し、

自分の今までの恋愛の話をしてしまったことが辛過ぎる今日この頃。

皆様騙すより騙されて笑いに変えれるくらい強めのメンタルを

持つことをお勧めしたいです。










「the end of the world --- carpenters」







デートの感覚を

美術館や博物館を観て美意識を高めること、 美しい音楽を聴いて感情を揺さぶること、 美味しい食事をして満たされること、 好奇心を駆り立てる旅をしたような読書をすること、 私にとっては全部同じだ。 パリで友人とポテトを食べながらアペロールをしている際に 人生で何を大切に...