2025年4月29日火曜日

Special in you




 人は自由なのにも関わらず自由を求めてしまう。

なぜ自由ではないと思ってしまうのか。


凝り固まった日常や生きるための仕事などのルーティンに追われ、


生きる意味や希望が薄れて自我がなくなってしまうからでしょうか。


そもそも自由の定義がわかってないからでしょうか。







(友人と松屋で飲んでみた写真)








私は素直に生きる人が好きだ。


最近出会った素直な人は、たまにアメリカから来日するアーティストの夫婦。


食事していて、デザートのプリンのカラメルソースがビターで美味しく、


二人とも私を見ながらニヤニヤと皿を舐め回していた時に


この夫婦素直過ぎる、、!となった瞬間があった。


舐め回すくらい美味しいのは共感するけど


服が汚れたら嫌だな〜とかお腹いっぱいで正直そこまでできず、


家路で舐めとけば良かったなと無駄に後悔した。







素直に生きるにはその人自身の誠実さ物語っている。


あざとさがないというか、本当に自分が興味があるから嘘がないというか


行動、表現が真っ直ぐなのだ。


音楽風に言うとロックだね〜って言うのかもしれないけど


ロックだねって今の時代死語なんですかね笑







ロックって生き様や振る舞いを表現する一方、


その時代の社会で抑圧されてる人たちの「願い」や「祈り」を代弁し、


自分を通して信念を突き通すことだと思っている。


理由なき反抗のようなイメージとは寧ろ逆だ。


私的にロックとモードは一緒だと思っている。


モードにも色んな意味があるけど、コムデギャルゾンの川久保さんも言っていた


「モードとは拒絶すること」とリンクする。


この拒絶とは単純に否定という訳ではなく、既存の価値や美意識、常識に


囚われず自分の美意識やコンセプトを貫くことがモードということだと思っている。


ロックもモードも己の芯が通ってこそ成り立つ訳で、


どっちも尊いし、どっちも今の時代から淘汰されてるから


ロックでモードな人が私は大好き。それに素直さも加わったら最高っす。






最近、豚軟骨の煮込みを作って人に食べてもらったら、


その人も漏れなく皿を舐め回して、綺麗に食べてくれていた。


私の周りだけ皿を舐めるのが流行ってるのでしょうか。


素直に生きる尊さを感じる春。


素直とバカは紙一重らしいっす。







夏木マリ 「二の腕」










2025年3月29日土曜日

風を浴びた

デザイナーの友人の勧めでベトナムに来た。

友人曰く、ベトナムには全て揃ってて世界で旅をした者のゴールとのこと。

もちろん揃ってる訳はなく、ゴールでもないのだが、

確かに人によっては揃っているようにもゴールにも思える国だと感じる。

物価も安く、食も美味しく、スパも安く、カフェもいっぱいあって、

何もしないで過ごすには欧米と比べてすごく過ごしやすい。

比較するのも野暮だけど、中心街は雑多で生活が隣接し、人が多く、

旅特有のどこにいるんだ私状態になる。

旅先で好きなカフェを見つけて通って日常化する感覚がすごき好きで

今日で三日間連続で同じカフェで読書している。







屋台でバナナクレープ作ってくれた人






友人と「TAR/ター」と言うケイト・ブランシェットの映画の話になった。

ざっくりとしたあらすじは、世界最高峰のオーケストラの一つである

ドイツのベルリン・フィルで、女性として初めて首席指揮者に任命され、

天才的な能力とそれを上回る努力、類稀なるプロデュース力で、

自身を輝けるブランドとして作り上げることに成功する一方、

新しい曲の制作のプレッシャーやある疑惑で追い込まれていく。

崇高なる芸術と人間の欲望が交錯する様子を描いた重厚な人間ドラマっす。











その主人公の最後が東南アジアに流れ着いたのは何故かと言う考察で、

音楽家として綺麗で完璧なものしか受け入れてこなかった人間が

バイクや生活騒音がすごい鬱蒼としたアジア圏に身を置いて

音楽の先生として過ごすことがどう言うことなのか。

このシーンで演奏されたモンハンの音楽だ。

評論家や権威のある人から見たらそれは落ちぶれているようにも

悲劇的にも感じるし、低級なものに感じるだろう。

知的な文化から離れて、ただ活躍の場所を変えたに見える人もいるだろう。

単純にクラッシックより、ゲームの音楽やアジア圏に対して偏見がなければ

主人公の「自分が感じた音楽の素晴らしさを伝えるという初心」の

表れが感じるとても希望に満ち溢れたエンディングだ。

観る人の角度、視点、解釈が炙り出される何とも素晴らしい映画っす








自由な解釈の可能性で面白くとも退屈とも感じるのは

映画だけじゃなく、何事も共通している。

それは多分その人が通ってきた「主観」に左右される。

丁度旅に持参した本で、主観とは?について語られていた。

主観とは自我の本質とのことで、

自我の本質とは、肉体でもなく、経験でもなく、

他者との区別で「温もり」つまり「温感」だと。

自分が意識できるものを熱だとすると、その熱の純度を高めることが

人生をより豊かにするんだろうなって思うっす。











ベトナムにはUberみたいなアプリでバイクバージョンのタクシーがあって

毎日知らないおじさんのバイクの後ろに乗って、ベトナムの街の風を浴びている。

移動が目的じゃなくて、最早風を感じたくて移動している。

風の良さってこんなだったかなと思うほどだ。

市街地では排気ガスまみれになり、田舎ではガタガタの道の振動を感じる。

それでも風だけはいつも心地よく包んでくれて

乗っている時間は全てを忘れさせてくれる。

(ベトナムに着いた瞬間もちろん全て忘れて楽しんでます)

(仕事もしてます小声)

東京でもこんなに風を感じることができるだろうか。

自転車生活をやめてバイクを買って風を求める人になろうかなと

真剣に考えるベトナムでした。




















2024年12月3日火曜日

溶かして生きよう


 この季節になると乾燥で口が荒れるので


毎年メンソレータムを10本くらい色んな服のポケットに


忍ばせておくんですが、今年は5本は洗濯してしまい


洗濯済のメンソレータムは使えるか悩んでる冬が到来しました。



芸術の秋らしく美術館やライブなどに足を運んでは


己の価値観や美意識を高めるだけ高めて、


その後バーに行って全てのことを音楽に溶かして


築き上げた意識を全部忘れる忘却の日々を過ごしてる。


余談ですが、最近お金を何に溶かした?的な話を


友人としたら〇〇に2000万円くらい溶かしたと


笑いながら言ってた吉田は最近一番かっこいいなと思った。






溶かすという表現は損失や無駄というスラング的な言葉だけど


無駄こそ最高の贅沢と思っている私は寧ろプラスの意味でしかない。


色んな意味で溶かしまくってる友人がいるので


みんな経済を回しまくってて心から大好きっす。





玉ちゃんこと玉山拓郎の展示





外に徘徊してる傍ら、寝る前に読書をずっとしてまして


最近読んだ萩原朔太郎さんの「詩の原理」がとても沁みまして。


(宇多田ヒカル様が詩を書く時に参考にしていたと聞いたので熟読)


その中の一節で "時間" と"空間” の話がありまして、


ベッドの中でほほ〜っと感心した一説がこちら。






人間の宇宙観念を作るものはこの時間と空間の二形式で、


この対立を表現について考えると、音楽は時間に属し、美術は空間に属すると。


音楽と美術!って秋の全てじゃないですか。


それを時間と空間で比較すると、、


音楽の魅力は、酩酊であり、陶酔であり、感傷である。


それは人の心を感激の高所に導き、熱風のように狂乱させる。


或いは涙もろくなり、情緒に溺れ、哀切耐えがたくなって嗚咽するetc


それに対して美術の魅力は、何という静観的な、落ち着いた、


智慧深い眼をしていて、対象の本質に突入し、物如を把握しようとし、


見る人の心に或る冷徹とした冷たい水を感じさせるetc


音楽は「火の美」で美術は「水の美」だと。






本当そうなんです。


音楽は熱くなるし、美術及び芸術は心が冷静になる。


主観と客観の主義の違いとでも言いますか。


改めて言語化されて気づく心の在り方にため息がでて


時間と空間の新しい視点を身につけることができたっす。








熱があると言えば、


小旅行で行く特急電車で食べる用の朝のデパ地下での爆買い、


サーフィンで自分より大きな波に突進する海の中、


友人のラブレターの代筆をする原稿、


スナックで知らない人が歌っていたあの歌、


もうどれも私には激アツ熱風っす。






書いてて思ってのはもう秋じゃなくて12月、完全に冬がきてました。


今日も私も溶かしに夜の街に出かけようと思います。





Mark Knopfler  ----  one deep river





2024年10月8日火曜日

愛は変化する

愛って何でしょうか。


ずっと一緒にいてくれることが愛でしょうか。


会いたくても会えなくて相手を想うことが愛でしょうか。


相手が大切にしてるものを大切にできるのが愛でしょうか。


そのままの相手を愛することができるのが愛でしょうか。


赦すことができるのが愛でしょうか。


秋の夜長は良くない妄想が襲ってきては


本当しょうもないことになるので、一人でいることはお勧めしないけど


私は相変わらず一人でミュージックバーを楽しんむ生活を送っている。






すっかり人肌も恋しくなるほど空気が冷えてきましたが


皆様お元気でこの世を生きてますでしょうか?


きちんと自分を甘やかして生きていることを願うばかりです。








8月末にすごく大好きなミュージックバーが移転のために一時閉店になった。


何かにうまくいかないことがあった時や心から疲れた時、


すごく嬉しい時や一人になりたい時、


音楽を聴きたい時や心を落ち着かせたい時、


色々な自分をこのバーで過ごしたもんで大切な場所過ぎて


最後の日は普通に泣いた(時期をあけて移転するだけなのに笑)


名前は知らないけど顔は知ってたり、


絶対話しかけると面倒臭いから最後まで話しかけない人がいたり、


自分と同じようにこのお店が大好きな常連のお客が


いつもはゆっくりとした時間が流れるお店にパンパンに集まっていた。


人も箱(お店 )も移転して変わらないのは分かっているけど、


ここにしかない名前のない空気が最後だと思うとすごく切なく、


こんなに愛されるバーが東京にあるんだと改めて感動した。






最近友人と滋賀のオーベルジュを体験してきた。


オーベルジュは郊外のレストランでシェフが地産の素材を使って


腕を振るう宿泊施設付きのレストランのことっす。


料理の醍醐味ってもちろん一緒にいる人と楽しい時間を


過ごすことだというのは大前提として、


料理って化学って言われてるくらい化学反応と呼ばれる


マリアージュで感動できたら本当幸せなこと。





私生まれてこの方、椎茸が大の苦手でして、、


そこでは前菜で椎茸丸ごとの一品が出てきて一瞬震えた。


炭焼きの椎茸に鴨のハムを削り、檸檬の風合いと


発酵バターと出汁が何とも言えない味わいで、


心から感動し、美味しい美味しいと何度も言った。


こちらがその椎茸なんだけど地味過ぎてなんだこれ。








色々感動した料理はあったけど、


椎茸を愛せるなんて思っておらず、


人生捨てたもんじゃないと思った。


ファッションで例えるとプラダとポールハーデンを


ミックスした感動的なショーだった。







グッと寒くなってきたので秋冬の商品をオンラインでアップしました。


今シーズンのコンセプト的なお手紙は


「Love is the over the rainbow」というお題の通り


愛が虹に消えたというお話です。(どういうこと〜)


商品をご購入して頂いた方にお手紙が同封されてますので


ニヤニヤしながらお読み頂けたら幸いです。


私も早く椎茸みたいな人に出会いたいもんです。






Joni Mitchell  「 River 」













2024年7月5日金曜日

深爪




椎名林檎や宇多田ひかるを聴いていると

女性解放と言わずもがな人間解放的な


本当に自由に生きていいと背中を押され


生き物として自由の根幹の大切さをひしひと感じる暑い夏、


皆様お元気でお過ごしでしょうか。








私事なんですが個人的に爪の白い部分が苦手で


お仕事的にも料理をする衛生的にも断然深爪派でとっても小さな爪なんです。


仲の良い友人のデザイナーも同じ小爪で(爪を見て苦笑する仲)、


だよね〜安心安心、信頼マックスと思って


先日ふと彼女の爪を見ると良い感じに伸ばしてて、


透明のネイルでコーティングされてるのを見て、


自分の価値観が揺らぎました。







他人がネイルしているのはその人の美意識なんで


ノータッチで別に何とも思ってなかったんですが、


同じ人種というか同じような生身プリミティブ人間が


ちょっと美意識に気をつけていると分かると、


私もいよいよか、、と思い36年間野放しにしていた


我が可愛い小爪をケアすることを始めました。


甘皮?をそそくさとケアし、オイルを塗り、


ヤスリ的な棒で形を整え、かまぼこのような板で表面をピカピカに磨き、


保湿液で整えてみました。







世の中の人はこんな大変な思いをして綺麗にしてると思うと泣けてきまして、


本当、爪の綺麗な人只々リスペクトっす。


こんな小さな宇宙のような爪に時間かけて


美意識を上げる世界は自己愛なくしてはできないなと、


ほんのちょっと体験して感じました。


これからネイルをケアしている女性を見る度に、


この人は自己愛があるんだなって思う次第です。


やってみて一瞬テンションあがりましたが、


私は料理したいので即行で白い爪の部分を切り落としました。


たまに飲む友人のおしゃべりおじさんが、


色んな意味でモテたかったら爪は切ってた方がいいと言うのを思い出し、


私はモテたいので深爪派でいこうと改めて思った次第っす。







話を最初に戻って私的に女性解放というか、

解放と自由を感じるアーティストはトレーシーチャップマンっす。

声もビジュアルも含めて当時は男性だと思ってて

透き通る真っ直ぐな声と歯痒い歌詞に胸が熱くなり、

大学生時代にがむしゃらに働いてたバーで聞き入って、

CDを繰り返し聴きこみ、暑い日の労働の曲として染みついた。

人にはその人の時代時代にあった心に沁みる曲があって

好きなアーティストを聞かれたらよく分からない自信を持って

トレーシーチャップマンと答えていけど、何で大切かと聞かれたら

説明のできない胸に込み上げてくる感情が熱くなる曲だからかもしれない。






Tracy Chapman    「 fast car 」






ここしばらく私は生きるのが辛過ぎてブログ書けませんでした。笑

というのは冗談で、ブランドをスタートしてもうすぐ10年くらいに

なるんですが、人生を見直したら見直し過ぎて

どうやって生きたかったんだっけ?状態になってました。

次のシーズン、また新しいことにチャレンジしていく次第なので

爪を短く切ってじっくり頑張って行こうと思います。

トレーシーチャップマンも深爪なのが嬉しいっす。











Special in you

 人は自由なのにも関わらず自由を求めてしまう。 なぜ自由ではないと思ってしまうのか。 凝り固まった日常や生きるための仕事などのルーティンに追われ、 生きる意味や希望が薄れて自我がなくなってしまうからでしょうか。 そもそも自由の定義がわかってないからでしょうか。 (友人と松屋で飲ん...