ちょっと前に人を信じることがバカらしくなった出来事があった。
よく行くバーのオーナーにその話を吐露したら、
野島伸司の「世紀末の詩」という本をお勧めされたので読んでみた。
生きることに絶望した二人の男の話なんだけど、
一話一話扱っているテーマが普遍的な内容で噛み締めるように読んだ。
その中の一話で、男に騙され続けてきた女性と
過去に色んな前科があり、逃走中に交通事故に遭い
足が不自由になった絵描きの男性との恋の話があった。
ある日女性が母の形見のサファイアの指輪をその男性に見せたことがあり、
暫くするとその指輪が部屋からなくっなっていた。
男性はその指輪が偽物だということが分かり、
本物のサファイアの指輪とすり替えるために黙ってやろうとしたのだが、
女性は男性が盗んだと疑ってしまった。
大切な指輪を盗まれた悲しみと、
この男だけは信じてたのにという腹いせで車椅子の男性を
線路に置き去りにして行ってしまった。
そして置き去りにされた男性が最後、
女性に向かって微笑んだという一文があったのだ。
恋人を信じられるかという話なんだけど、
信じることと疑わないここととはどういうことかを考えさせる
すこぶる後ろ髪が引かれる一話だった。
相手が自分を愛してくるれから、相手が何かをしてくれるから
人を愛するのだろうか。
相手の本当の姿が自分の見ていたのと違ってもそれを受け入れることが
できるかできないかは最早自分の信じる力なのだろうか。
愛とは一方的だな感じる反面、最後に全てを分かって
女性に微笑む男性の許す愛が全て過ぎて涙が止まらなかった。
というのを友人に話したら、
人が裏切るなんて当たり前じゃ〜ん☆
裏切るとか裏切らないとかじゃないくて
一緒にいる自分との時間をマックス最高にすることしか
できないのだから、マックス目指しましょ☆
みたいな回答をもらったので本当この友人最高〜!ってなりました。
人は会ってる時間、会ってない時間も
全てをすの人を知ることなんて不可能だ。
例えば教養があり、しかも美しい人を探すというなら
美しい風景を眺めるように、ある場所のある角度からの
展望のみが美しいのだから、人も同じように全体を見なければいい。
みたいな話になるのだから人には理想がない方がいいのかもしれない。
それは否定的な意味ではなく、人を間違いなく理解することなど
私たちは所詮できないからということを
知っておくことが大切なのかもしれない。
別件なんだけど、今流行りの詐欺の電話がかかってきました。
もちろん気付かず警察のフリした知らない人と1時間半も電話し、
自分の今までの恋愛の話をしてしまったことが辛過ぎる今日この頃。
皆様騙すより騙されて笑いに変えれるくらい強めのメンタルを
持つことをお勧めしたいです。
「the end of the world --- carpenters」