2025年8月26日火曜日

25歳の自分

定期的に自分の書いた文章を読み返してみる。

当時の自分はどういう感覚で生きていたのか、

どういう視点で物事を捉えていたのか、

何がきっかけでその日ブログを書こうとしたのかなど、

さらっと振り返って読む度に、とある日のブログは

葬式で読んでもらいたいくらい長く暑く脂の乗ったブログがある。

それは「やる気」について書かれたこのブログ。

(画像をクリックしたら飛びます)













これを書いたのは2018年で、その5年前の2013年に書いたから

12年前の文章になる。

12年前は25歳で絶賛プー太郎の時期だった。

学生生活を強制的に終え、お金がある程度貯まったから

今しかできないことをしたいとエセバックパッカー的なノリで

ヨーロッパ地方を中心にプラプラとしていた。

25歳の私なりの「やる気」に対しての考察結果はめっちゃ割愛すると、





人生にはタイムリミットがるから、

気まぐれなやる気に悩み、時々感謝して、

そしてただ楽しむこと!

といった、とてもシンプルな答えになった。






今日はなぜこんなやる気に対して書こうかと思ったかというと、

人生の勢いが足りないなと感じたからだ。

勢いあり余る人ってたまにいるじゃないですか。

そういう生き急いでるというか、アグレッシブな人に出会うと

この人のやる気どこから出てるんだ?と思っちゃうんだけど、

実際やる気って溢れ出ちゃうもんだから

後はやるかやらないかの簡単な2択だったりする。





私は熟考するのが苦手なので、結構すぐに手を出してしまう

(この表現合ってる?笑)

橋を叩きまくるより、何も叩かずスキップして橋を渡るタイプ。

そういう感じだから、脆い橋を渡って落ちてしまうこともあるけど

立ち直りがすこぶる早い方だと思う。

何ならちょっとできただけでも、他の何かに繋がるはずだと思って

失敗しても死なない限り大丈夫〜なんて思っては

家に帰ってお風呂で泣いて、お酒飲んだら忘れてしまう派っす。

という感じで人よりは失敗が多い分、

やる気という気持ちの根源にはすごい敏感でいたいと思っている。

そして何かをやろうとしている人や頑張っている人を超リスペクトする傍ら、

何もしなくてもいい存在に憧れつつ、

やる気スイッチを綺麗に磨いて生きようと思った次第っす。





お尻に空いた穴を補正。やるまでが億劫だった。







とはいえ、25歳の自分の拙い文章と今よりも何か伝えたいなという

強かな熱さを読み返したら何かやる気出てきたような。

そうとなれば、夏の夜風を浴びながら駆け込み花火しよっと。

過去の自分もやる気に繋がることがわかったっす。




































2025年8月19日火曜日

E=mc²



最近好きな人ができた。

みたいなしょうもない話が真夏渇き切った酒場で重宝されるのを知っている。

皆様の夏は潤ってますでしょうか?

私の夏は終わったり始まったり終わったりで大忙しっす。

恋愛もインスタントに消費される時代、

コインランドリーに一緒に行くだけでデートだと勘違いできるような

日常を彩る相手と出会えたらそれはもう熱だと言いたいっす。

私は大切なことを本当にすっぽり忘れてしまう性格なので

友人や好きな人のいいところや可愛いなと思ったららメモしてて、

後で見返す度に、これのどこが良かったか誰かに教えて欲しいくらいの

すごく小さなことを記録している。







例えば屋上にお酒を飲みに行く時にスリッパをそっと差し出してくれたこと、

爪の白い部分を切ると幸せが逃げるよと言ってくれたこと、

見えもしない東京タワーの位置を丁寧に教えてくれたこと、

みたいな誰に共有しても何だそれみたいな小さなストーリーを重ねて

私は人にいいね!ボタンを押しまくってる。

そういう意味で結構チョロいんだけど、

人生チョロい方が楽しいと思っているので皆様お勧めっす。

携帯のメモ欄はこういった、いいね!の項目と、

カラオケに行った時に何を歌ったらいいか分からなくなってしまうので

歌えるカラオケ一覧リストのメモで大忙し。







いいところに気づく繋がりで、私は結構勉強が好きな方だった。

きっかけは中学生から高校生にかけて、家の近所にある

おじいちゃんが一人で教えている数学専門の寺子屋のような塾に通っていて、

その先生は癖しかなく、曲者中の癖100%の人だったが、

教えることに長けていて、その塾の生徒は皆優秀だった。

数式の考え方や問題の向き合い方、解けることの面白さを教えてくれたし、

勉強というか学ぶことが色んな物事に繋がることを教えてくれいた。

例えば数学を学べばコップに何リットルの水が入っているか分かるし、

英語を学べばその水を海外の人に伝えることができるみたいに

学ぶことを連鎖して教えてくれたおかげで、

自分に必要だと思えて勉強が苦ではなかった。




ポテサラが落ちてつまみ洗いをしたらハートができました、これも連鎖!





ただ一つ、人の気持ちが理解できなかった私は国語が大の苦手だった。

作者が言いたいことは何か?みたいなことを聞かれたら

妄想が過ぎて独自の視点で不正解だった。

国語の苦手意識がすごかったが、友人から勧められた

ポール・オースターのムーンパレスがすごく面白かったことから

詩や小説、現代思想や哲学に広がっていった。

夏の持て余した時間、積読したいた本をずっと読んでいた。

旅行に行くのと同じくらい頭に新しい風が吹く本はいい本だ。

アインシュタインについて書かれた「愛の手紙」という本で、

アインシュタインが娘に宛てた手紙が紹介されていた。

その中の、愛について語られていた一説に涙が止まらなかった。

簡単にいうと、愛こそ全てのエネルギーのパワーの源的なことなんだけど

読み終わってアインシュタインも結構チャラいしチョロいなってなったっす。


日常を彩る相手って誰っすかって自問自答する夏の終わり、

皆様チャラく生きましょ〜

(このブログ親が読んでて辛いっす笑)




「Electricity」 宇多田ヒカル









2025年7月4日金曜日

デートの感覚を



美術館や博物館を観て美意識を高めること、


美しい音楽を聴いて感情を揺さぶること、


美味しい食事をして満たされること、


好奇心を駆り立てる旅をしたような読書をすること、


私にとっては全部同じだ。


パリで友人とポテトを食べながらアペロールをしている際に


人生で何を大切にしているかを適当に聞いてみたら


友人は色んな経験をすることと言った。


続けて死んだら何も持っていけないからね〜と。


結構いい答えだなと思い、


自分は何を大切にしてるか自問自答し考えてたが、


異常気象の灼熱のパリを歩き疲れたのでビールを流し込んで


答えるのをスルーした。




フランス語を上手くなるにはエスカルゴを食べろらしい










ファッションウィークのパリに久しぶりに来た。


色んなブランドの展示会を見させてもらったが、


ブランドのモノ自体の良し悪しよりも、


それを取り巻く環境や人の温かさや優しさとか


ホスピタリティとシャープさのを感じる方が大切だと心から感じた。


というのもいい服はいい環境にあって欲しいし


素敵な人に伝わって欲しい、それがどう伝わっていくかの過程や


一体いつまでこのルーティンが続くのか色々考えさせられた。


服をも超える関わり方や独自性や創造性など


もっともっと針の穴を通すような繊細なことが必要だし、


もうそういうブランドじゃないと存在の意味がない。


デザインをすることより空気をいかに作るかの時代か。


みたいな事をブツブツ思いながら過ごしてたっす。









ピノー財団で催されていたセレスト・ブルシエ=ムジュノの展示に


知人の子供の9歳の男の子とデートをしてきた。


約束をして二人で目的あるところに出かけらデートだと


思っていたのだが、彼はこれはデートじゃないと拒否していた。


じゃ何がデートなの?って聞いたらはぐらかされた。


こちらもデートのコーディネートに一生懸命なので


何食べたい?や喉乾いてない?暑いからちょっと休む?など


嫌われないように必死すぎて、パパ活ならぬママ活状態に。


展示は円状のプールに無数に浮かぶ大小の丸い皿が浮いてて


水流でセラミック製の皿がぶつかり合う無数の音が奏でる音楽が成り立っていた。


男の子との会話で何で皿が丸いと思う?やこの皿の数どうやって決めと思う?


皿が楽器になってるって面白くない?太陽が乱反射してるあそこ綺麗じゃない?


これも音楽なんだけど、この音楽どう思う?ここの空間気持ち良くない?


みたいな話をし、これがデートの醍醐味だよと話したら


ふ〜んみたいな顔をされて会話が終了したっす。


あと10年後とかに分かってくれたらいいなと思い、親元にリリースしたっす笑






これが俗に言う匂わせでしょうか笑










フォトグラファーのティルマンスがポンピドゥセンターの


改装前最後の大規模な展示をするとのことで行ってきた。


言わずもがなだけど、歩けばティルマンスといった


莫大な量の写真をあのバカ広い空間にリズムよく軽やかに展示されていた。


ティルマンスの写真は日常のこぼれ落ちている瞬間を


詩的且つ情緒を感じる。


何点展示されていただろうか。


あの空気を編集したキュレーターにも感服したし、


日本だとあの感じには仕上がらないよな〜と思い、


(空間特異性や湿度やトリミングの仕方など)


心から観れて良かったと思う展示だった。















冒頭に戻るが素晴らしい体験をするとすごく心が豊かになって


醜悪な人間と出会ってもスルーできてしまうくらい


善の領域に入ってしまうが、年齢のせいか曇り眼鏡せいか


すっと心の奥底に落ちる感動が限られてきてしまっている。


9歳の男の子とデートする感覚くらい


全てのものに気を遣っていけたらもっと人生が良くなる気がした。


ということでこの夏はいっぱいデートしたいっす。


デートって響きが尊い。。






Peace piece --- Bill Evans
















25歳の自分

定期的に自分の書いた文章を読み返してみる。 当時の自分はどういう感覚で生きていたのか、 どういう視点で物事を捉えていたのか、 何がきっかけでその日ブログを書こうとしたのかなど、 さらっと振り返って読む度に、とある日のブログは 葬式で読んでもらいたいくらい長く暑く脂の乗ったブログが...