Cha-La Head-Cha-La - Dragon Ball Z OST
2025年8月26日火曜日
25歳の自分
2025年8月19日火曜日
E=mc²
最近好きな人ができた。
みたいなしょうもない話が真夏渇き切った酒場で重宝されるのを知っている。
皆様の夏は潤ってますでしょうか?
私の夏は終わったり始まったり終わったりで大忙しっす。
恋愛もインスタントに消費される時代、
コインランドリーに一緒に行くだけでデートだと勘違いできるような
日常を彩る相手と出会えたらそれはもう熱だと言いたいっす。
私は大切なことを本当にすっぽり忘れてしまう性格なので
友人や好きな人のいいところや可愛いなと思ったららメモしてて、
後で見返す度に、これのどこが良かったか誰かに教えて欲しいくらいの
すごく小さなことを記録している。
例えば屋上にお酒を飲みに行く時にスリッパをそっと差し出してくれたこと、
爪の白い部分を切ると幸せが逃げるよと言ってくれたこと、
見えもしない東京タワーの位置を丁寧に教えてくれたこと、
みたいな誰に共有しても何だそれみたいな小さなストーリーを重ねて
私は人にいいね!ボタンを押しまくってる。
そういう意味で結構チョロいんだけど、
人生チョロい方が楽しいと思っているので皆様お勧めっす。
携帯のメモ欄はこういった、いいね!の項目と、
カラオケに行った時に何を歌ったらいいか分からなくなってしまうので
歌えるカラオケ一覧リストのメモで大忙し。
いいところに気づく繋がりで、私は結構勉強が好きな方だった。
きっかけは中学生から高校生にかけて、家の近所にある
おじいちゃんが一人で教えている数学専門の寺子屋のような塾に通っていて、
その先生は癖しかなく、曲者中の癖100%の人だったが、
教えることに長けていて、その塾の生徒は皆優秀だった。
数式の考え方や問題の向き合い方、解けることの面白さを教えてくれたし、
勉強というか学ぶことが色んな物事に繋がることを教えてくれいた。
例えば数学を学べばコップに何リットルの水が入っているか分かるし、
英語を学べばその水を海外の人に伝えることができるみたいに
学ぶことを連鎖して教えてくれたおかげで、
自分に必要だと思えて勉強が苦ではなかった。
ポテサラが落ちてつまみ洗いをしたらハートができました、これも連鎖!
アインシュタインについて書かれた「愛の手紙」という本で、
アインシュタインが娘に宛てた手紙が紹介されていた。
その中の、愛について語られていた一説に涙が止まらなかった。
簡単にいうと、愛こそ全てのエネルギーのパワーの源的なことなんだけど
読み終わってアインシュタインも結構チャラいしチョロいなってなったっす。
日常を彩る相手って誰っすかって自問自答する夏の終わり、
皆様チャラく生きましょ〜
(このブログ親が読んでて辛いっす笑)
「Electricity」 宇多田ヒカル
2025年7月4日金曜日
デートの感覚を
美術館や博物館を観て美意識を高めること、
美しい音楽を聴いて感情を揺さぶること、
美味しい食事をして満たされること、
好奇心を駆り立てる旅をしたような読書をすること、
私にとっては全部同じだ。
パリで友人とポテトを食べながらアペロールをしている際に
人生で何を大切にしているかを適当に聞いてみたら
友人は色んな経験をすることと言った。
続けて死んだら何も持っていけないからね〜と。
結構いい答えだなと思い、
自分は何を大切にしてるか自問自答し考えてたが、
異常気象の灼熱のパリを歩き疲れたのでビールを流し込んで
答えるのをスルーした。
フランス語を上手くなるにはエスカルゴを食べろらしい
ファッションウィークのパリに久しぶりに来た。
色んなブランドの展示会を見させてもらったが、
ブランドのモノ自体の良し悪しよりも、
それを取り巻く環境や人の温かさや優しさとか
ホスピタリティとシャープさのを感じる方が大切だと心から感じた。
というのもいい服はいい環境にあって欲しいし
素敵な人に伝わって欲しい、それがどう伝わっていくかの過程や
一体いつまでこのルーティンが続くのか色々考えさせられた。
服をも超える関わり方や独自性や創造性など
もっともっと針の穴を通すような繊細なことが必要だし、
もうそういうブランドじゃないと存在の意味がない。
デザインをすることより空気をいかに作るかの時代か。
みたいな事をブツブツ思いながら過ごしてたっす。
ピノー財団で催されていたセレスト・ブルシエ=ムジュノの展示に
知人の子供の9歳の男の子とデートをしてきた。
約束をして二人で目的あるところに出かけらデートだと
思っていたのだが、彼はこれはデートじゃないと拒否していた。
じゃ何がデートなの?って聞いたらはぐらかされた。
こちらもデートのコーディネートに一生懸命なので
何食べたい?や喉乾いてない?暑いからちょっと休む?など
嫌われないように必死すぎて、パパ活ならぬママ活状態に。
展示は円状のプールに無数に浮かぶ大小の丸い皿が浮いてて
水流でセラミック製の皿がぶつかり合う無数の音が奏でる音楽が成り立っていた。
男の子との会話で何で皿が丸いと思う?やこの皿の数どうやって決めと思う?
皿が楽器になってるって面白くない?太陽が乱反射してるあそこ綺麗じゃない?
これも音楽なんだけど、この音楽どう思う?ここの空間気持ち良くない?
みたいな話をし、これがデートの醍醐味だよと話したら
ふ〜んみたいな顔をされて会話が終了したっす。
あと10年後とかに分かってくれたらいいなと思い、親元にリリースしたっす笑
フォトグラファーのティルマンスがポンピドゥセンターの
改装前最後の大規模な展示をするとのことで行ってきた。
言わずもがなだけど、歩けばティルマンスといった
莫大な量の写真をあのバカ広い空間にリズムよく軽やかに展示されていた。
ティルマンスの写真は日常のこぼれ落ちている瞬間を
詩的且つ情緒を感じる。
何点展示されていただろうか。
あの空気を編集したキュレーターにも感服したし、
日本だとあの感じには仕上がらないよな〜と思い、
(空間特異性や湿度やトリミングの仕方など)
心から観れて良かったと思う展示だった。
冒頭に戻るが素晴らしい体験をするとすごく心が豊かになって
醜悪な人間と出会ってもスルーできてしまうくらい
善の領域に入ってしまうが、年齢のせいか曇り眼鏡せいか
すっと心の奥底に落ちる感動が限られてきてしまっている。
9歳の男の子とデートする感覚くらい
全てのものに気を遣っていけたらもっと人生が良くなる気がした。
ということでこの夏はいっぱいデートしたいっす。
デートって響きが尊い。。
25歳の自分
定期的に自分の書いた文章を読み返してみる。 当時の自分はどういう感覚で生きていたのか、 どういう視点で物事を捉えていたのか、 何がきっかけでその日ブログを書こうとしたのかなど、 さらっと振り返って読む度に、とある日のブログは 葬式で読んでもらいたいくらい長く暑く脂の乗ったブログが...
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人は自由なのにも関わらず自由を求めてしまう。 なぜ自由ではないと思ってしまうのか。 凝り固まった日常や生きるための仕事などのルーティンに追われ、 生きる意味や希望が薄れて自我がなくなってしまうからでしょうか。 そもそも自由の定義がわかってないからでしょうか。 (友人と松屋で飲ん...
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デザイナーの友人の勧めでベトナムに来た。 友人曰く、ベトナムには全て揃ってて世界で旅をした者のゴールとのこと。 もちろん揃ってる訳はなく、ゴールでもないのだが、 確かに人によっては揃っているようにもゴールにも思える国だと感じる。 物価も安く、食も美味しく、スパも安く、カフェもいっ...