デザイナーの友人の勧めでベトナムに来た。
友人曰く、ベトナムには全て揃ってて世界で旅をした者のゴールとのこと。
もちろん揃ってる訳はなく、ゴールでもないのだが、
確かに人によっては揃っているようにもゴールにも思える国だと感じる。
物価も安く、食も美味しく、スパも安く、カフェもいっぱいあって、
何もしないで過ごすには欧米と比べてすごく過ごしやすい。
比較するのも野暮だけど、中心街は雑多で生活が隣接し、人が多く、
旅特有のどこにいるんだ私状態になる。
旅先で好きなカフェを見つけて通って日常化する感覚がすごき好きで
今日で三日間連続で同じカフェで読書している。
屋台でバナナクレープ作ってくれた人
友人と「TAR/ター」と言うケイト・ブランシェットの映画の話になった。
ざっくりとしたあらすじは、世界最高峰のオーケストラの一つである
ドイツのベルリン・フィルで、女性として初めて首席指揮者に任命され、
天才的な能力とそれを上回る努力、類稀なるプロデュース力で、
自身を輝けるブランドとして作り上げることに成功する一方、
新しい曲の制作のプレッシャーやある疑惑で追い込まれていく。
崇高なる芸術と人間の欲望が交錯する様子を描いた重厚な人間ドラマっす。
その主人公の最後が東南アジアに流れ着いたのは何故かと言う考察で、
音楽家として綺麗で完璧なものしか受け入れてこなかった人間が
バイクや生活騒音がすごい鬱蒼としたアジア圏に身を置いて
音楽の先生として過ごすことがどう言うことなのか。
このシーンで演奏されたモンハンの音楽だ。
評論家や権威のある人から見たらそれは落ちぶれているようにも
悲劇的にも感じるし、低級なものに感じるだろう。
知的な文化から離れて、ただ活躍の場所を変えたに見える人もいるだろう。
単純にクラッシックより、ゲームの音楽やアジア圏に対して偏見がなければ
主人公の「自分が感じた音楽の素晴らしさを伝えるという初心」の
表れが感じるとても希望に満ち溢れたエンディングだ。
観る人の角度、視点、解釈が炙り出される何とも素晴らしい映画っす。
自由な解釈の可能性で面白くとも退屈とも感じるのは
映画だけじゃなく、何事も共通している。
それは多分その人が通ってきた「主観」に左右される。
丁度旅に持参した本で、主観とは?について語られていた。
主観とは自我の本質とのことで、
自我の本質とは、肉体でもなく、経験でもなく、
他者との区別で「温もり」つまり「温感」だと。
自分が意識できるものを熱だとすると、その熱の純度を高めることが
人生をより豊かにするんだろうなって思うっす。
ベトナムにはUberみたいなアプリでバイクバージョンのタクシーがあって
毎日知らないおじさんのバイクの後ろに乗って、ベトナムの街の風を浴びている。
移動が目的じゃなくて、最早風を感じたくて移動している。
風の良さってこんなだったかなと思うほどだ。
市街地では排気ガスまみれになり、田舎ではガタガタの道の振動を感じる。
それでも風だけはいつも心地よく包んでくれて
乗っている時間は全てを忘れさせてくれる。
(ベトナムに着いた瞬間もちろん全て忘れて楽しんでます)
(仕事もしてます小声)
東京でもこんなに風を感じることができるだろうか。
自転車生活をやめてバイクを買って風を求める人になろうかなと
真剣に考えるベトナムでした。