先日ヤマト運輸のトラックの助手席に
私服姿のおじいちゃんが乗ってて、何者だ?と思ったら
駐車取り締まりの人から車を守るだけの、
ただ乗っていることが仕事の人だった。
そのおじいちゃんは陽の当たる中遠くの空を見上げてボッーっとしたり、
本を読んだりしていてとても和かで、目指すべきはこの姿かもしれない、、
と思う今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。
少し前にNetflixの細木数子を題材にしている「地獄に落ちるわよ」観た。
心が動くとか、考えさせられるとか、大変だったんだな〜という感情はなく、
どちらかというと、こういう人生送った方が面白いよなという感想だった。
見る角度によってはもちろん悪くも捉えらるものだけど、
破天荒というか、バイタリティの塊というか、素直というか、
こういう風に生きることができないから題材になる訳で
普通に細木数子いたら友達になりたいし、
こういう生き方は嫌いじゃないし、寧ろ好感を持てた。
恋多き細木数子が劇中で、万葉集では狂おしい恋を、
孤独の孤と悲しいの悲で「孤悲」と表現したと言っていた。
誰かといて満たされている瞬間ではなく、
寧ろ「一人の時間」に生まれる痛みのような感情が恋だったのかと。
そしておじさんは「僕は奥さんの作品ですから」と言ってハッとなった。
となると私も今まで付き合ってきた人の。。。笑
(タモリさんの赤塚敏夫さんに向けた弔辞を思い出した)
友人も恋人も誰と付き合うかで人って良くも悪くもなるよね。
そういう意味では悪い人はいなかったと信じたいというか、
最早悪くても一緒に過ごしてくれた素晴らしい時間に感謝しつつ
人間である以上、より良く生きる為の糧だったと思って
昇華するしかないのではと思ったりする。
しかしながらエンパシーのカケラもない人のような姿をした
動物がいるのを私は知っている。
もう何のために言葉があって、何のために想像力があって、
何のために映画や小説のような文学があるのか。
この世界にたまに本当にうんざりする。
期待してたからとか、想像と違ってたからとかじゃない。
多分、自分に力がないからかもしれない。
もう少しましな世の中にするための力だ。
服を作るのも、楽しく生きるのも、金を稼ぐのも、
全てはマシな世の中にしたいからだと思う。
私も赤塚敏夫みたいに「それでいいのだ」と言って
全てのことを笑い飛ばしたい。