2026年4月21日火曜日

センスと思いやり



とあるバス停で綺麗な女性がすごい猫背で前屈みになって

読書をしている姿を見てなぜかドキッとしたのを覚えている。

ボロボロのバス停もいいし、美人なのももいいし、

前屈みの猫背もいいし、読書してる姿もいい。

こういう全てのシチュエーションが完璧にハマる瞬間、

本当は写真でも撮りたいものだが、ぐっとこらえて携帯にメモをする。

こんなしょうもない描写のメモを見返しては、

あの瞬間を切り取れた自分を褒める今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

とあるメモに「センスと思いやり」とメモっていたので、

今日はそれに対して思いを馳せてみた。





マルジェラはセンスでしかない




センスは美意識の積み重ねから構築される。

美しいものを見て何故美しいか考えたり、

美しくないもを見て何故美しくないかを考え、

その繰り返しの中で自分なりの基準が少しずつ輪郭を持ち、

やがて「無意識の選択」として現れる。

センスとは瞬間的なひらめきではなく、

過去に積み重ねた問いと観察の総量だと思っている。




思いやりは想像力と経験の積み重ねで構築されている。

相手の立場・感情・状況を自分ごととして感じられる力と、 

自分が傷ついたり、助けられたりした記憶をブレンドしている。

ただ想像力だけだと空回りしやすく、

経験だけだと自分基準の優しさになりがちになる。

「想像力」と「経験」に足すなら「相手を見る姿勢」かもしれない。





センスも思いやりも日々の習慣だ。

考えることを常に怠らない人はこれがスッとできるし、一緒にいて居心地がよい。

しかし私達が生きる世界はこの積み重ねる余裕もないくらい忙しないらしく、

人は一瞬にして変わってしまうというのを最近遭遇してしまった。

仕事が忙しいから、疲れているから、

時間がないからと追い込まれる理由はたくさんあるんだろうな。

色んなことに迫られている人を見ると、大丈夫だよと言いたい気持ちでいっぱいだ。

仕事を少し休んでも死ぬ訳ではないし、疲れていたら気分転換したらいいし、

時間がなければ一回立ち止まってやり方を考え直したらいい。

総じて言いたいのは、少しあなたが止まっても世の中はなるようにしてなるし、

ぶっちゃけ何も変わりわしない。

ただ本当に大切なことをきちんと見極めないと大変なことにはなるし、

追われるとその見極めが一番難しくなるのだと思う。

目の前のことに応えるだけで精一杯になり、

何を大切にしたかったのかさえ、少しずつ曖昧になっていくのだろうなと想像する。




The 思いやりな大好きな夫婦




だからこそ時々立ち止まること、私はおサボりと言うがとても大切にしている。

自分がどこに向かっているのか、何を守りたかったのかを思い出す時間を。

センスも思いやりも、特別な才能ではなく、

そうした「立ち止まる余白」の中で静かに育っていくものだと思って

日々サボりまくっている。

おサボりをしない人は自分の世界で完結してる人が多い気がする。

もっと楽して生きたらええんですよ、って声掛けたいが呪縛は結構強くて中々届かない。

せめて、、と想像したが、他人に余計なことはせずに、

もし落ち着いた時期になって余白を一緒に過ごすごとができたら、

いっぱい楽しませることしかできないなと思った次第だ。

今日初めて会った人に人生楽しそうですねって言われた。

こちらは余白あり過ぎて楽しむために必死なので、

はい楽しいです!とアホみたいな回答をして打ち合わせを終えたっす。




NEWME ---  UA




人に対して最初はガラスのように大事に扱ってた時期を思い出して欲しい。

だいたい無料期間が終わると人ってプラスチックみたいに扱うの怖いよね。

プラスチックみたいに扱ったらプラスチックみたいに扱われるの知らないのかな。

思いやりってマジで大切なので、皆様隣人には特に優しくして下さいませ。

春の風を抱いて帰ります。きらり。











センスと思いやり

とあるバス停で綺麗な女性がすごい猫背で前屈みになって 読書をしている姿を見てなぜかドキッとしたのを覚えている。 ボロボロのバス停もいいし、美人なのももいいし、 前屈みの猫背もいいし、読書してる姿もいい。 こういう全てのシチュエーションが完璧にハマる瞬間、 本当は写真でも撮りたいも...