定期的に自分の書いた文章を読み返してみる。
当時の自分はどういう感覚で生きていたのか、
どういう視点で物事を捉えていたのか、
何がきっかけでその日ブログを書こうとしたのかなど、
さらっと振り返って読む度に、とある日のブログは
葬式で読んでもらいたいくらい長く暑く脂の乗ったブログがある。
それは「やる気」について書かれたこのブログ。
(画像をクリックしたら飛びます)
これを書いたのは2018年で、その5年前の2013年に書いたから
12年前の文章になる。
12年前は25歳で絶賛プー太郎の時期だった。
学生生活を強制的に終え、お金がある程度貯まったから
今しかできないことをしたいとエセバックパッカー的なノリで
ヨーロッパ地方を中心にプラプラとしていた。
25歳の私なりの「やる気」に対しての考察結果はめっちゃ割愛すると、
人生にはタイムリミットがるから、
気まぐれなやる気に悩み、時々感謝して、
そしてただ楽しむこと!
といった、とてもシンプルな答えになった。
今日はなぜこんなやる気に対して書こうかと思ったかというと、
人生の勢いが足りないなと感じたからだ。
勢いあり余る人ってたまにいるじゃないですか。
そういう生き急いでるというか、アグレッシブな人に出会うと
この人のやる気どこから出てるんだ?と思っちゃうんだけど、
実際やる気って溢れ出ちゃうもんだから
後はやるかやらないかの簡単な2択だったりする。
私は熟考するのが苦手なので、結構すぐに手を出してしまう
(この表現合ってる?笑)
橋を叩きまくるより、何も叩かずスキップして橋を渡るタイプ。
そういう感じだから、脆い橋を渡って落ちてしまうこともあるけど
立ち直りがすこぶる早い方だと思う。
何ならちょっとできただけでも、他の何かに繋がるはずだと思って
失敗しても死なない限り大丈夫〜なんて思っては
家に帰ってお風呂で泣いて、お酒飲んだら忘れてしまう派っす。
という感じで人よりは失敗が多い分、
やる気という気持ちの根源にはすごい敏感でいたいと思っている。
そして何かをやろうとしている人や頑張っている人を超リスペクトする傍ら、
何もしなくてもいい存在に憧れつつ、
やる気スイッチを綺麗に磨いて生きようと思った次第っす。
お尻に空いた穴を補正。やるまでが億劫だった。
とはいえ、25歳の自分の拙い文章と今よりも何か伝えたいなという
強かな熱さを読み返したら何かやる気出てきたような。
そうとなれば、夏の夜風を浴びながら駆け込み花火しよっと。
過去の自分もやる気に繋がることがわかったっす。
Cha-La Head-Cha-La - Dragon Ball Z OST