2026年4月10日金曜日

木に掘られる



近所の若者がこぞって集うカフェがある。

おしゃれっぽい人が写真を撮り合い、デートしたり、チルっている中で

昼過ぎから私は一人でネグローニのエスプレッソ割を飲んでいる。

仕事をしていたら、どうしようもない気持ちになったので

こういう時は散歩するのがいいし、ここのネグローニは美味しい。

ほろ苦い赤いグラスがとても綺麗で見惚れていたが

隣のカップルが胡散臭い投資話をしているもんだから

酔いが覚めてしまった今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。






Udon Kyutaro







紀州のドンファンのニュースを見る度に何だこの事件はと思ってしまう。

ドンファンって何ですか。と毎回心で突っ込んでしまうし、

容疑者の女性のあの感じも毎回考えさせられてしまうし、

何よりも事件のネーミングがキャッチー過ぎて

この事件名を付けたライターのセンスにニヤニヤしてしまう。

本当に自分に関係ない事件でノイズでしかないのだが、

反応してしまう自分が負けたようで悔しい。







ノイズといえば、最近はノイズやらゴミやら邪魔するものなどから

どれだけ自分に入ってくるかを防ぐのが最大のラグジュアリーだと思っている。

ラグジュアリーと言うと何か嫌な感じだが、

そういう明らかなノイズが嫌だから少なくとも会社に勤めず、

良い距離感で自分の仕事を作ってきたつもりだった。

しかし、とある叔父さんとそのノイズについて話していた時のこと。

叔父さんは私の話を一通り聞いてこう言ったのだった、

「君にとっては一見無駄に見えるかもしれないけど、

その時間を無駄にするかどうかは君次第だぞ。」と。

無駄だと思ったらその時点で無駄だけど何か実りあるものにするなら

自分の考えや行動で価値のある時間にできるとサラッと言ってくれた。

無駄なことが好きな私だったが、

無駄と明らかなノイズの違いは理解してたつもりだったが

その叔父さんの言葉は私は素直に受け入れることができた。






大阪と京都に行ってきた。

取引先にご挨拶や生地工場に行ったり、桜を見たり寺でチルったりした。

飲みの席で、数学の話になった。

まだ解かれていない問題や、

数学が化学や物理や医学などの根幹である一方おざなりにされてる問題や、

問題に対してのアプローチの仕方など

目から鱗でお酒が美味しくこれはメモらないと、、

と思ってメモに残していたのが

「掘りたいと思って木を掘るか、木に掘られるか」だった。

翌朝二日酔い気味でこれを読んだ時なんだこれと思ったものだ。

うろ覚えな記憶を紐解くと

ある程度の知識や経験を基に解いていく自分ベースのものと、

何か分からないが目の前にあるものと対話し自然と手が動いてしまうという

意識と無意識の感覚の原理の話だった気がする。

この話は色んな角度で感動したし、川沿いの桜の花びらが散るのもそっちのけで

3軒目のバーに流れて行き、

恋愛トークで頭のメモリーがいっぱいになってしまった。






翌朝、久しぶりに三十三間堂に行った。

コロナ中に行った時は貸切状態で、境内で昼寝をしたくらい

ともて贅沢な空間だったが、信じられないほど人で溢れていて好きではなくなった。

丁度、写経ができる時間だったので筆をとり黙々と書く時間はとても贅沢だった。

最後に願い事を書く欄があったが、

自分の願い事は自分の力でやるタイプなのでとある人の健康を祈ってみた。

3回も念仏を唱えないといけないらしく、流石にそれは面倒だなと思ったが

他人のことを願うくらいピュアな自分を神様にアピールするために唱えた。






春が好きだったがうつろい過ぎてあまり好きじゃいかもしれない。

心ここにあらずで早く春が過ぎて欲しい。

そして木に掘られるくらい、何かに向き合って軽くなりたい。









Chilly Gonzales --- in Vienna
このチリーゴンザレスは明らかにピアノに掘られてる



















木に掘られる

近所の若者がこぞって集うカフェがある。 おしゃれっぽい人が写真を撮り合い、デートしたり、チルっている中で 昼過ぎから私は一人でネグローニのエスプレッソ割を飲んでいる。 仕事をしていたら、どうしようもない気持ちになったので こういう時は散歩するのがいいし、ここのネグローニは美味しい...