2021年8月26日木曜日

ささくれちゃん

夏の通り雨の冷たさに

焦る訳でもなく、ただただ天を仰ぎ

今の自分の状況に笑ってしまう。

大好きな映画、ショーシャンクの空にのシーンで言えば

脱獄し自由を手に入れたラストシーンの状況だけど

真夜中の時間帯、帰路を歩く私には

この雨はお風呂の代わりにならんかね?くらいの

心に余裕のない日があった。











多分こんな日は1年に1、2回やってくる。

自分の力じゃ及ばない闇が迫ってくる時。

昔の自分なら学校を勝手に休んで映画観て栄養補給してたけど

今それをしてしまうと、仕事をサボった綺麗なしっぺ返しがくる。

休憩は何もしないんじゃなくて、

爆走しながらウィダインゼリーを両手で持って飲むみたいな

よくわかない汗かきな大人になってる。

楽しいし、ビールが美味しく飲めるから全然大丈夫だけどね。








蒸し暑い午後、ふと北川悦吏子脚本の常盤貴子と豊川悦司のドラマ

「愛していると言ってくれ」を思い出した。

内容は割愛するけど、26年前の恋愛ドラマでとにかく豊悦が眩しい。

あんな綺麗な男性いたらそりゃ好きになるよね。

という話じゃなくて、ドラマのタイトルの

「愛していると言ってくれ」の方が気になった。

愛していると、愛してる。

"い”  があるかないかの違いなんだけど、調べたところ(暇か)

ただの"い抜き言葉"だった。

けど無駄に考えてしまう。

普通に自分が発言するとしたら「愛してる」と言いそうだな。

なぜ「愛している」にしたのか。。

愛しているの方が現在進行形に感じるからか、

ちょっと改めて正々堂々言おうとしたら

相手と自分の距離が結構あったのか、

相手への強い願いを込めてなのか。。

と無駄な想像をしてしまう。

それだけ、あのタイトルは後ろ髪を引っ張るいいものだなと感じる。













気になる、気になってしまうって本当すごいことだなって

普通に生きてると思う。

気にならなくてもいいことはいっぱいあるけど、

自分の感覚に触れるささくれのような物や事は

じっくり取り組むことが肝心なのかもしれない。

物事を完結するためには、才能や技術よりも

時間の熟成を信じて自分の思考と真理の歩みよりの

気質というか性格が大切だったりするのかな。

そういう意味でささくれって大好き。







リア充な人よりボロボロの子犬のように傷ついてたり、

大きな器だけど思いっきりひび割れてる心の持ち主だったり、

いちいちいちゃもん言ってくるより失敗を笑顔で見守ってくれたり、

そんな戦場を駆け抜けてきたような人っているよね。

その人は紛れもなく私にとってはささくれちゃんだったりする。

人生を楽しくしたいから、ささくれを大切に見守りたい。












追記


先日the rolling stonesのドラマーのチャーリー・ワッツが亡くなった。

ストーンズに興味なくてもいい。

涙が出るほど綺麗な夜明け、

もしくはすごく嫌な朝に、この曲をイヤホンで聴いてみて。

チャーリーっぽくないと言うのは変だけど

ストーンズのチャーリーとは別物で本当かっこいい。

去年の秋に友人と朝方に爆音で聴いた。

最初に聴いた時すご過ぎて放心状態だったのを覚えてる。

優しくて強いコーラス、ベースのアレンジ、訳の分からない展開、

そして後半の畳み掛けるようなドラム。


かっこいい音楽って本当正義だな。

















Feeling good

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